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今村昭秀学校長のコラム

今村昭秀学校長のコラム 2017年度

今村昭秀学校長イラスト

(イラスト:マンガ科 小日向一葉)
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2017年度

2017.5.15(New!)

新緑の香りをのせた春風が吹き抜け、初夏へと少しずつ移ろいはじめたゴールデンウィークと呼ばれる、初日の4月29日、本年度最初のオープンキャンパスイベントの体験入学があり、出校しました。その役割を終えて、新聞で紹介されていた、昭和館特別企画展「ポスターに描かれた昭和〜高橋春人の仕事」を見るため、九段にある昭和館へ向かいました。この日は祝日の「昭和の日」でもあり、戦中戦後の昭和という時代に多くの公共ポスターを手がけた高橋春人さんを偲(しの)びたい、との思いでもありました。高橋さんは私の2代前の二科会デザイン部代表を務められた大先輩で、私が20代のころご指導をうけるなど、色々とお世話になった方でした。
太平洋戦争中の昭和18年ごろから、内閣情報局の宣伝技術メンバーとして国家総動員、国民総力戦の国民運動を啓発するためのポスターや、壁画制作にあたったのですが戦災で自宅が焼け、そのほとんどは消失してしまったそうですが、会場にはわずかに残ったポスターが展示されていました。戦時中に国策であったこのような国威高揚(こくいこうよう)を図る、扇動的(せんどうてき)な表現のプロパガンダ(戦争宣伝)に関わっていた美術家は、戦後道義的責任という理由で、その責任を問われたりしたようです。その代表的画家に藤田嗣治がいます。戦争画を描いていたことを非難され、追われるようにフランスに渡り、サロン・ドートンヌ会員、審査員として活躍し、エコール・ド・パリの代表的画家となり、帰国することなく帰化して、レオナール・フジタとして生涯を終えたのですが、「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と語っています。
高橋春人さんも「理屈(りくつ)じゃないんだ、戦争はダメだ」と折にふれて言っていました。そうしたことからか、戦後は一貫(いっかん)して、幸福を希求(ききゅう)する公共ポスターひとすじで、高度経済成長期でも商品ポスターはほとんど手がけませんでした。代表的なものに昭和22年〜53年までの30年間という長きにわたり赤い羽根募金といわれた共同募金・赤十字募金のポスターデザイン。昭和39年(1964)の東京オリンピックと同じ年に開催された東京パラリンピックの招致ポスター、公式ポスターデザインなどがあります。神楽坂のご自宅の仕事場でお話を伺(うかが)ったり、作品を見させてもらったりしたころが懐かしく思い出され、何もかもが少なく不自由であったポスターに見る昭和は、平成の今、ついこの間のようでもあり、遥(はる)か遠い昔のようにも感じられ、いろんな想いが交錯(こうさく)し、感慨深(かんがいぶか)く心地よい空間でした。平成といえば29年前、当時官房長官であった小渕恵三さんが思い出されます。官邸での記者会見で、新しい元号(げんごう)は「平成」であります。と平成と書かれた額を掲(かゝ)げる、昭和から平成への時代を象徴するシーンが報道され、平成おじさん、などとも呼ばれた小渕さんが、平成10年に総理大臣になられ、その年二科展デザイン部へ来られご案内をしました。これは通産大臣であった深谷隆司さんが二科展デザイン部に出品し入選したことから、その作品を見に来られたわけです。深谷さんは絵が得意で海外でのスケッチを生かした観光ポスターでの応募でした。
その小渕さんが12年に突然亡くなられ、5月16日青山斎場で葬儀がありましたが、その日私は「愛知万博・愛地球博」の公募ポスターの打ち合わせのため、経産省の応接室で担当の審議官を待っていました。かなり遅れてこられ、小渕さんの葬儀に行き道路が混んでいて遅れたとの事情を知りました。
昭和から平成に移ったころはなじめなかった平成もすっかり馴れ、今は平成生まれの学生に囲まれていますが、以前、今年の新入生は平成生まれだ。と学内で話題になったことがありました。
激動の昭和を経(へ)ての平成ですから、心おだやかに平静(へいせい)でありたいとの思いです。

2017.4.28

草木が萌(も)えでるように芽吹き、その若葉の萌黄色(もえぎいろ)がだんだんと増し、常緑樹と落葉樹がその色の違いを見せ、冬枯れの「山眠る」から、まさに萌える春の「山笑う」です。そんな新緑に囲まれた山あいの相模湖リゾート プレジャーフォレストでのフレッシャーズ・レクリエーションに今年も同行しました。21日の朝、新入生とその担任など教職員473名が、大型バス11台で原宿を出発しました。あいにくのくもり空でしたが、風も弱くほどよい気温の中、それぞれ班ごとにダッチオーブンでトッピングを工夫したオリジナルピザを焼き食べ、フリータイムではプレイランドで遊ぶ学生たちの躍動感みなぎる、まぶしいばかりのその姿は、夢と希望に満ちあふれ、萌黄色に芽吹いた新緑のごとく、すべての命が、春の息吹を謳歌(おうか)しているかの、青春まっただ中でした。留学生懇親会で会った留学生の笑顔もあちこちで見られ、学生同士や教職員とのコミュニケーションを図り、今後の学園生活をよりよくする。という目的にはつながった光景でした。
周りの山肌や山すそでは、ヤマザクラ、ヤブツバキ、ツツジ、ヤマフジ、ボタンザクラ、クサボケ、ヤマブキ、足元にはスミレ、タンポポなどが咲き、それらに呼応(こおう)、感応(かんのう)したかのように、学生たちが焼いたピザも春の花々のように、色どり豊かなトッピングで、春色に染まっていて各テーブルは春らんまんでした。緑の春ですが、古くは緑も青といゝ、いまでも緑色なのに青葉、青信号などというのもその名残(なご)りだそうですが、やわらかい新芽の瑞々(みずみず)しさや、若々しい緑のイメージからこの時期を、人生の春にたとえ「青春」というのも、こゝから生まれた言葉のようです。
教職員のテーブルでは、デザートに米どころ新潟県の代表的な和菓子である、笹ダンゴが出され美味しくいただいたのですが、これは本校の卒業生で、佐渡島出身の職員が実家から送ってきたからと、持ってきてくれたもので、日本の和菓子とイタリアのピザとの粋(いき)なコラボでした。この笹ダンゴは春を告げる野草のヨモギをねりこんだ餅(もち)に餡(あん)を入れ、ダンゴにして笹の葉にくるみ、ヒモで両端(りょうはし)を絞(しぼ)り、中央で結んで蒸(む)したり茹(ゆ)でたりして作られるのだそうです。越後(えちご)が生んだ郷土の名産品で、かつて俳人の俵万智が「イッセイの シャツ着こなせる若者が ふるさと自慢に言う笹だんご」と、うたいました。このヨモギは草餅にすることから餅草(もちぐさ)ともいゝ、その香りは邪気(じゃき)を払うというハーブの女王とも呼ばれるほど、その効能は強く薬草としてもよく、天ぷらなどの食材としても春を代表する野草のひとつです。四方に根を伸ばして、繁茂(はんも)すると言う意味から「四方草(よもぎ)」と言い、燃える草から「モグサ」とも言うそうですが、お灸(きゅう)につかうモグサは若葉を採り、天日で干(ほ)して乾燥したものをもんで丸めて体に置き、燃やすことで血のめぐりがよくなり、保温にもよいとされ、子供のころ祖母がこのお灸をしている姿をよく見たものでした。こゝからヤイトグサという別名もあり、私がイタズラなどをしたとき、祖母からヤイト(お灸)するよ。などといわれたものでした。
そんなお灸をすえてくれるような年長者がいなくなり、いつのまにかお灸をすえる立場になってしまいました。万事灸(ばんじきゅう)す。ではなく、灸(きゅう)すれば通ず。にしたいものです。

2017.4.15

春はあけぼの……。枕草子(まくらのそうし)のごとく、春は夜明けの空が明るくなる明けがたの曙(あけぼの)がいゝという、そんな朝、玄関を開けると近くの里山からウグイスの鳴き声が聞こえ、まさに季節は春ですが、桜が見ごろを迎えたと思ったら、寒暖や雨が行きつ戻りつしたような日々があり、そんな不安定な天候のおかげで、まだサクラが咲き残っていた10日の朝、明治神宮の神域の芽吹きはじめた木々にかこまれた明治神宮会館で、新入生441名を迎えて入学式を行いました。 この日は、これぞ春。といったおだやかな陽気に恵まれて、幸先(さいさき)のよいスタートをきることができました。式場には、さわやかな春の息吹(いぶき)が漂(ただよ)い、春風がそよそよと気持ちよく吹く、春の、のどかなさまをいう、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)という言葉が浮かんできました。そんな中、学校長式辞、理事長祝辞、来賓祝辞、教職員紹介、新入生宣誓。と式次第にそってとどこおりなく進行することができました。引き続き在校生の学業成績優秀賞、学園特別賞などの賞状授与を行いました。新入生はそのまゝその場でガイダンスがあり、保護者の方には参集殿に移っていただいて「春季保護者説明会」を行い、多くの熱心な保護者の皆さんに参加いただいて、私は改めてアイサツをさせていただきました。
本校に入学したことで出会った仲間は、自然の大きな循環(じゅんかん)の中で、有機的につながっているような気がします。人と人とのつながりに距離感や過ごした時間は関係なく、つながるべき相手はその前からつながっているのではないでしょうか。見ず知らずだった人たちがこうして出会って仲間になるわけですが、それぞれ多様な価値と感性が出会ったことで、新たなクリエイションが生まれるのでは、と期待しています。
毎年たのしみにしている神宮会館の庭のシダレザクラの紅色の花、純白の花が満開で見ごろでした。サクラの種類は300種以上あるそうですが、それぞれの多様な価値と感性の違う400名を超える新入生を見ていると、野生種、自生種、園芸種、八重咲き、一重咲き、花の色も大きさも、早咲き、遅咲き、など開花時期も違うそんなサクラになぞらえてしまいました。
サクラといえば、当て字で偽客(にせきゃく)と書く、売り手とぐるになって客の購買心をそゝる役をする大道商人の仲間や、演者と共謀(きょうぼう)して聴衆(ちょうしゅう)にまじり、他の人々にも共鳴させるような言動をするいわゆるヤラセの人をサクラと言いますが、語源は諸説あるようです。その一つに江戸時代の芝居(しばい)小屋で役者に声をかけるヤラセの見物人役はパッと派手に景気よくやって、パッと消えることからサクラのようだ、とそう呼ぶようになったというのがあります。 そういえば、映画「男はつらいよ」シリーズで大道商人だったフーテンの寅さんの妹の名は「さくら」でした。

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