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今村昭秀学校長のコラム

今村昭秀学校長のコラム 2016年度

今村昭秀学校長イラスト

(イラスト:マンガ科 小日向一葉)
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2016年度

2017.3.15(New!)

まだ朝夕の冷え込みや、寒い日暖かい日がくりかえされ、体感的には三寒四温とはいまごろのことか、と思いつゝ木々の枝には花芽が見え、風光る、という季語が浮かんでくるような春の兆(きざ)しがそこここに感じられるようになりました。
そんな春めいたおだやかな日差しがそゝいだ、3月9日の朝10時より明治神宮会館で卒業式を行いました。ご来賓、保護者の方々が見守る中、卒業証書授与、学業成績、卒業制作、学園特別賞などの表彰、学校長式辞、校友会会長式辞、在校生送辞、卒業生答辞。など式次第に沿(そ)って粛々(しゅくしゅく)と、滞(とどこお)りなく進みました。
卒業式は、希望に満ちた新たな出会いへの門出ですから、女子学生のハカマ姿や、ポーランドの留学生の日本のキモノ姿や、内モンゴルの留学生の民族衣装なども見られ、華(はな)やいだ空気が漂っていましたが、偶然の出会いから2年あるいは3年間共にした時間を想えば、一抹(いちまつ)のさびしさの表情も伝わってきました。
そんな卒業生を壇上(だんじょう)から眺めながら、数日前の卒業制作展が思い浮かんできました。9学科それぞれの専門分野で学んだ集大成である、多くの想いをこめた力作の全作品をじっくり見させてもらいましたが、よくぞこゝまで、とその成長ぶりに感銘をうけました。その卒業制作期間のころ、「バムとケロ」絵本シリーズで人気の絵本作家でカナダ在住の卒業生、島田ゆか(旧姓 赤穂由佳)さんが卒業以来初めて母校を訪れてくれました。卒業制作中の授業を見学しながら在校生と話したり、イラストレーション科の絵本専攻の学生は作品を見てもらい、コメントをもらったりするなどよろこんでいました。私も島田さんとは卒業以来でした。私の授業の採点が、自分が良いと思う作品の評価が低く、悪いと思った作品の評価が高かったことなどのエピソードを聞き、当時の教室のモノクロのおぼろげな記憶が淡いカラーで想い浮かんできました。
後日くれたメールには「久し振りの母校はすっかり様子が変わっていて、まるで別の学校のようでしたが、生徒さんが熱心に作品に取り組んでいる姿を見て、自分が学校に通っていた頃の気持が懐かしく蘇ってきました。今村先生に30数年後にまたお会いして親しくお話しすることができる日が来るなんて想像もしていなかったので私にとっては本当に嬉しい時間でした。」とありました。私の方こそ偶然の出会いから教師冥利(みょうり)に尽(つ)きる、豊かな感慨(かんがい)深い至福(しふく)の時間を過ごすことができ、これは過ぎ去った歳月(さいげつ)がくれたプレゼントのようでした。
そんな想い出を新たな出会いにつなげ、活(い)かしていきたいと思っています。

2017.2.28

あちこちで早咲き桜の濃いピンク色が目に映(うつ)る湯河原ですが、<梅一輪いちりんほどの暖かさ>。を感じたのはついこの間だったような気がします。いま、山裾(やますそ)の斜面に4000本ほどの紅梅白梅が入り混じり咲いていて、その梅林はまさに「梅の宴(うたげ)」まっ盛(さか)りです。その彩りは春霞(はるがすみ)のようにどこまでも淡く、パステルで描かれたような風景が広がっています。夜は「梅一夜(うめひとよ)」と銘打(めいう)ってライトアップされ、人工的な色と自然の色が交錯(こうさく)し幽玄で幻想的な趣(おもむき)があります。
湯河原に移って間もないころ、町に一軒しかないという本屋で「梅一夜」と言うタイトルが目に入り、求めました。「梅一夜」は、湯河原在住の作家西村京太郎さんが審査委員長をしている、湯河原文学賞を受賞した小説で、作者は湯河原に実在した「旅荘船越」の女将(おかみ)で、その内容は、うつ病に悩みながら旅館の女将として奮闘(ふんとう)する姿が、湯河原の季節の風物をまじえて書かれていて、うつ病に悩む人やその家族を勇気づけるかの私小説のようでした。帯(おび)には湯河原在住の歌手、五月みどりさんが推薦文(すいせんぶん)を寄せていて、巻末(かんまつ)には作者の幼(おさ)ななじみと言う湯河原出身の俳人、黛(まゆずみ)まどかさんとの対談もありました。この女将は、やはり湯河原出身で俳優として活躍している船越英一郎さんの妹(洋子)さんで父親が大映で活躍した映画俳優であり、テレビの司会者でもあった船越英二で(私はリアルタイムで知っています。)1960年代に「船越」と言う旅館を創業し亡くなった後、洋子さんが「旅荘船越」として継(つ)いだのだそうですが、2009年に閉館となり、その洋子さんも翌年亡くなられています。
梅花雪和香(ばいかゆきにわしてかそばし)という禅語(ぜんご)があるそうですが、梅花は長く厳しい雪の寒さに耐えてこそ、美しく花が開き、気高い香りを放つという意味で、古くは花見と言えば寒さの中、凜(りん)として咲く梅の花を好み愛(め)でたのだそうです。梅の花はどちらかというと負(ふ)のイメージがあり、その方がより情緒(じょうちょ)が宿(やど)るようです。
秋田に「春霞(はるかすみ)」という地酒があるそうですが、これは濁酒(だくしゅ)のように濁(にご)っていない清酒(せいしゅ)であることから「はるがすみ」ではなく、にごらない「はるかすみ」なのだそうです。
私の頭の中は「春霞(はるかすみ)」ではなく、諸々(もろもろ)がぼやけていて、はっきりすっきりしない、さながら「春霞(はるがすみ)」のようです。

2017.2.14

立春になり、暦の上では春の始まりですが、「春は名のみの風の寒さや・・・」。早春賦(そうしゅんふ)の歌詞が想い浮かびます。立春の前日の「節分」は大寒(だいかん)最後の日で寒さがピークになる頃なのだそうです。旧暦ではこの節分は大晦日(おおみそか)で、立春が正月にあたるのだそうですが、とするとまたもう一つ年をとるような気がしないでもありません。それでなくても無駄に年をとっているかの感があります。よく「年をとると丸くなる」などと言われますが、これは節分のとき魔除(まよ)けのため玄関の外に常緑の柊(ひいらぎ)の枝に焼いた鰯(いわし)の頭を刺(さ)して飾る風習(ふうしゅう)があり、その柊の葉からきているのだそうです。その葉は木が若くて小さな時は動物に食べられないように葉の先にギザギザのトゲをつけていて、成長して老木になると高いところは動物に食べられる心配がないため、葉の先が丸くなることからこの言葉が生まれたのだそうです。
人間も若い頃は、既成の価値観に抵抗したり反抗したりする、トゲトゲしく尖(とが)った生き方をするものですが、私は背が低く、心身ともに成長がにぶく、いまだにトゲが多くあり、一向(いっこう)に丸くなりません。関東から西の比較的温暖な地域に分布する「柊」は、初冬に花をつけることから「柊の花」は冬の季語だそうです。その名は木と冬を組合わせて「柊」になったという説と、ギザギザに尖った葉に触(さわ)ると痛くヒリヒリすることを疼(ひいら)ぐといゝ、この疼ぐから冬の字を取り出して木を組み合わせたという説もあるようです。
彩(いろど)りの少ない冬、緑の葉に赤い実をつけるこの柊や南天、千両、万両などは縁起(えんぎ)が良いとされている日本的なものですが、それらに比べると明治時代に入ってきたというピラカンサは、鮮やかな赤い実が冬の陽(ひ)に映(は)えて、たわわに鈴なりになっていて目立ちます。それぞれ白い花に赤い実をつけるところから、白いニワトリの赤いトサカが思い浮かびました。鶏(にわとり)に冠(かんむり)で鶏冠(とさか)と読みますが、オスは大きくメスは小さいそのトサカの赤色は、毛細血管が集まって血液の色が透(す)けて見えるのだそうです。その役割は威嚇(いかく)する。メスを惹(ひ)きつける。体温を調節する。などで、アゴの部分の赤いひだは「肉髯(にくぜん)」と呼ぶそうです。そういえば、カッとなって頭を通りすぎて、もっと上のトサカに達するほど頭にくることを「トサカにくる」などといゝます。このトサカを食べることは知ってはいましたが、私は残念ながらまだ食べたことがありません。コラーゲンや天然のヒアルロン酸が含まれていて、知る人ぞ知る美容食材なのだそうです。
ということで、差(さ)し当(あ)たって今年の目標は、干支(えと)でもあるニワトリのトサカを食べることと、もうひとつの原宿、そうです「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨の「とげぬき地蔵」に人知(ひとし)れず秘(ひそ)かに行って、トゲを抜いてもらい、少しでも丸くなることです。

2017.1.30

冬は草木が枯れ、里山の木々は濃淡のある薄鼠色(うすねずいろ)とか薄墨色(うすずみいろ)とか言われるような地味(じみ)ですが美しい色が広がり、混在(こんざい)する常緑の木々が、あたかもスパイスのように映(うつ)ります。<枯れきって あたたかさうな 父祖の山>。これは湯河原出身の黛(まゆずみ)まどかさんの句ですが、そこには冬を越すために厚い殻(から)や毛でおゝわれ、じっと春を待つ「冬芽」があることが想われて、豊かで奥が深い精神的な味わいが醸(かも)しだされ、温もりを感じます。それは季節と語り合い目で味わう地味ですが滋味(じみ)でもある風景です。
今年の干支(えと)は酉(とり)ですが、この「酉」は酒を醸(かも)す壺(つぼ)の形を表しているのだそうです。本来の読みは「ゆう」でこれをニワトリの「とり」にしたのは、庶民に十二支を浸透させるためわかりやすい動物の名前を当てたもので順番や選ばれた理由などは、はっきりしないようです。醸すとは麹(こうじ)を発酵(はっこう)させて酒などを醸造(じょうぞう)することですが、ある雰囲気や状態を出現させることを「醸しだす」ともいゝます。
神前(しんぜん)にお供(そな)えしたり、供えられたお酒をいただくのをお神酒(みき)といゝますが、わたしも新年祈願(鳩の森神社)や入学式、卒業式の前日の祈願(明治神宮)の後でお神酒をいただいています。
毎年、伊勢名物の「赤福」を送ってくれる伊勢在住の友人が、「伊勢神宮御料酒」という小型の樽酒(たるざけ)も送ってくれ、新年をたのしませてもらいました。正月に飲むお酒をお屠蘇(とそ)、酔うことをおとそ気分などといゝますが、もともとは邪気(じゃき)を屠(ほふ)り、魂(たましい)を蘇(よみがえ)らせ、長寿を願うという、日本酒に生薬(しょうやく)を浸した縁起物(えんぎもの)の薬草酒なのだそうです。
寒さがきびしい冬は、寒造(かんづく)りとか寒仕込(かんじこ)みとか呼ばれる日本酒の仕込みが、最盛期のようです。空調技術が発達した現在では、季節を問わず酒造りができるそうですが、寒い時は細菌が少ない状態でじっくり時間をかけて発酵させるため、キメ細(こま)やかでスッキリとした味わいの仕上がりになるのだそうです。 このところ麹がブームになっていますが、日本酒やみそ、しょうゆなど和食文化を支えてきた調味料は麹なくしては成りたゝないといえます。この「こうじ」には米に花が咲くと書く「糀」という字もあります。体に良い麹ですが麹そのものは食べません。表には出てこない控え目なその存在は、知れば知るほど愛(いと)おしさが増(ま)してきて、そんな麹のようでありたいとの思いがあります。千代田区には麹町という地名がありますが、これは江戸時代の屋敷跡(やしきあと)から味噌や麹を作った手掘りの地下室である室(むろ)が数多く見つかっており、文字どおりのようですが、その他、小路(こうじ)が多かったためという説などもあるそうです。
今年は?身動きがとれず先に進めないような、袋小路(ふくろこうじ)に入らないように、気をつけなくては、と思っています。

2017.1.13

謹(つつ)しんで新春のおよろこびを申し上げます。本校の仕事始め、授業の始まりは5日からでした。新成人になった学生たちもいる校内は、華(はな)やいだ初春(はつはる)の空気が漂っています。
今年もまずは恒例(こうれい)になっている地元の鳩の森八幡神社に参拝し、社殿で祝詞(のりと)を奏(そう)じていただいて、学生の健康と安心安全、本校の発展を祈願してきました。
正月が来ると歳(とし)を一つ重ねるわけですから、この歳になると正月などこなければ良いのに、などとの思いがあり、できるだけさりげなく正月気分をスルーするつもりでしたが、おだやかでポカポカ陽気の春正月であった三が日(さんがにち)あまりにも良い天気に誘われて、湯河原の氏神(うじがみ)さまである小さな神社と、少し大きな由緒(ゆいしょ)ある神社に、初詣(はつもうで)してしまいました。してしまったからには開き直って正月気分を満喫(まんきつ)しようと、小田原城内にある報徳二宮神社にも出かけました。こゝは二宮尊徳を祀(まつ)っている由緒正しき学問の神さまですから、私などは面映(おもは)ゆいのですが、想像以上の長い列ができていておどろきました。参道の脇(わき)にある報徳会館の1階展示場で「有名人慈善絵馬展」が1日〜7日まで開催されていて、それを見るのも目的でした。私は有名人ではありませんが、なぜか川崎の稲毛神社と2ヶ所から絵馬(えま)を依頼され提供しました。送られてきたおよそタテ22センチ・ヨコ30センチの間伐材(かんばつざい)のヒノキの板に描いたものですが、出展者には画家、書家、デザイナー、イラストレーター、漫画家、落語家、芸能人、政治家など多彩な顔ぶれでした。その中には、風間トオル、西村雅彦、大和田伸也、勝俣州和、伊東四朗、照英、岩下志麻、森口博子、生稲晃子、松坂慶子、岡田茉莉子、加茂さくら、大村崑、毒蝮三太夫、萬田久子、みのもんた、具志堅用高、由紀さおり、八代亜紀、美川憲一、ペギー葉山、五木ひろし、谷桃子、森下洋子、コシノヒロコ、桂由美、市田ひろみ、假屋崎省吾、林家たい平、林家三平、三遊亭円楽、林静一、さいとうたかを、ヒサクニヒコ、多田ヒロシ、永美ハルオ、山根青鬼、片山さつき、三原じゅん子、黒岩祐治、眉村卓、下重暁子、谷川浩司、吉村作治、服部幸應、佐伯チズ、中島誠之助さんなどの名があり、すでに縁のある方々や、絵馬によって出会えた方々もいて、うれしく新鮮でした。260名の絵馬が展示されている静謐(せいひつ)な会場は1人ひとりの物語がほのかに浮かび、神域(神の世界)と俗界(人の世界)、現実と幻想の境界をたゆたいながら無関係の関係もつながっていくかの不思議な時空間でした。
絵馬は神社に祈願するときや願いが叶(かな)って、そのお礼に奉納する絵や言葉が描かれた木の板のことですが、古来から馬は神さまの乗りものとして生きた馬を献(けん)じていた風習があり、馬に代えて馬の絵を描いたことから絵馬と呼ぶようになり、いまでは馬以外の絵や願いごとも絵馬と呼ぶのだそうです。
メールやソーシャルネットワークで情報を一瞬(いっしゅん)にして発信できる時代にこの絵馬は、超アナログですが、それぞれ異界とも思えるこの両域が近(ちか)しく感じたのは、そこに流れる「気」のせいでしょうか。
新年の神聖な空間を出たとたん、絵馬から「エマニエル婦人」を連想していまいました。1970年代に話題になった官能映画の代名詞といわれるフランス映画ですが、その官能的なシーンが頭をよぎり、私はどうしようもない、救いがたい俗人、俗物であることを思い知りました。いまさらですが・・・・・。

2016.12.28

遅(おく)れてやってきた色とりどりの紅葉のなかに、ウルシやハゼの葉の深みのある紅色、古くは「ふかきくれない」とも読まれた深紅(しんく)色を見つけ、愛(め)でたのしんでいたのもつかのま、色が褪(あ)せすっかり冬紅葉(ふゆもみじ)になってしまいました。
国立新美術館で開催されていた、若き作家の登竜門として高い評価を得ている現代アートのコンペティション「シェル美術賞2016」展で、本校クリエイティブアート科の学生がグランプリに次ぐ審査員賞を受賞し、その学生と一緒に表彰式に出席してきました。アニメから想(そう)を得たというその作品は「paradox」というタイトルで、ネズミ色の画面の中に少女が描かれていて、その少女が持つハート型の風船と靴の色が印象的な深紅色でした。富山デザインフェア2016「パッケージデザインコンペティション」でグラフィックデザイン科の学生2名がパッケージデザイン大賞と北日本新聞社賞を受賞しましたが、大賞作品のパッケージも魅力的な深紅色でした。
賞といえばノーベル文学賞に放浪伝説やフォークの神様、ロック界の英雄とか呼ばれているボブ・ディランが受賞したことが話題になり、重要な意味をもってきた文学賞が歌手に与えられたことに、あれは文学ではない、などと賛否(さんぴ)が分かれました。1963年に発表され代表曲になった「風に吹かれて」では、人間の尊厳(そんげん)や反戦への思いを、答えを出さずに<こたえは風に舞っている>と歌い、優しいメロディーでわかりやすい綺麗(きれい)な表現の詞でありながら深い内容は、その意味をめぐって解釈(かいしゃく)が分かれ、謎(なぞ)めいた比喩(ひゆ)は単なるメッセージソングではなく、さまざまな読み取り方ができ、詩人なんて言葉は嫌(いや)だ。といっているボブ・ティランですが、これらは詞というより詩ではないでしょうか。この詩と詞の違いはアートとデザインの違いに似ています。詩をアート詞をデザインとすれば、目的機能が表現や形を決めるデザインと制約のない自己表現がアートといえますが、今や人々の欲望を表現することではアート(詩)もデザイン(詞)も同意語といってもよいのではないでしょうか。ボブ・ディランの受賞は文学の定義の幅(はば)を広げることになったともいえそうです。
ノーベル文学賞といえば、最有力候補と見なされている村上春樹さんは、デビュー作「風の歌を聴け」でボブ・ディランが1969年に発表したアルバムの「ナッシュヴィル・スカイライン」が聴(き)こえるという場面を書いています。1968年には、新鋭作家であった若き日の五木寛之さんが「風に吹かれて」というタイトルで青春放浪記とも言えるエッセイ集を刊行していますが、やはり影響をうけていたのでしょうか。ボブ・ディランが「風に吹かれて」を発表したころ、私は木造アパートの3畳間からモルタルアパートの4畳半に出世したころで、風に吹かれたようにほうぼう流れ歩いた遠い日々の私的な記憶がよみがえってきました。
今年も長くて不評なこの「コラムもどき」を読んで下さいましてありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えください。

2016.12.14

晩秋とも初冬ともどちらともいえそうな狭間(はざま)の趣(おもむき)ですが、夏の花であるカンナやグラジオラスが夏の名残(なご)りのようにまだ咲いているのが見られます。季節はずれに咲く花を帰り花、戻り花、忘れ花などと呼びますが、季節を過ぎても咲いているのは「なごり花」とでもいうのでしょうか。そういえばイルカが歌って大ヒットした曲に「なごり雪」があります。そんな、なごり雪を連想するような冷たい風が吹き冬のように寒かった10月最後の日曜日、渋谷の街はハロウィンで仮装した人々が押し寄せ、お祭りさわぎでしたが、このハロウィンは大量のゴミが溢(あふ)れ、汚れが目立つためマナーとモラルを守って楽しんでほしい。と「ゴミゼロ大作戦IN渋谷」のポスターを渋谷区から頼まれ、本校の学生がデザインしました。東急百貨店を中心に掲示され、スクランブル交差点の巨大モニターでも放映されました。
同じ日の朝、私はとなりの恵比寿駅の駅長事務室へ出向きました。本校から理事長、私、原宿、恵比寿、代々木の各駅長、その地区の町内会長、サッポロビールの社長がそろい、恵比寿駅長の先導で東口改札前に移りました。そこは原宿、恵比寿、代々木駅「開業110周年合同記念セレモニー」の会場で、これは原宿駅から本校にその記念ロゴマークとポスターのデザインを依頼され学生が取り組んだことからでした。原宿駅長、助役、駅職員の方々が来校しオリエンテーションをしていただき、完成した作品のプレゼンテーションを行い、その中から大賞(ポスター採用)、3駅の駅長賞、実行委員賞が選ばれ、記念セレモニー会場で表彰式をやってくれたわけです。受賞した学生4人と、担当講師も出席し、JR東日本吹奏楽団の記念演奏もあるなかで表彰していただきました。エビスビールを製造販売しているサッポロビール社長が恵比寿の地名、駅名の由来についてや、地域限定の記念ビールも発売していることなど話され、各駅長もアイサツされ、原宿駅長は本校にロゴマーク、ポスターを依頼し協力してくれたことへの感謝を述(の)べてくれました。私も本校が50周年というときに原宿、恵比寿、代々木駅開業110周年記念に関わらせていただいたことへの感謝とお礼のアイサツをさせていただきました。10、11月の2ヶ月間3駅に受賞作のポスターが掲出され、特に原宿駅には駅入口付近や駅構内、通路などに数多く見られ、JRのロゴとともに 協力 東京デザイン専門学校 とあり、誇(ほこ)らしい思いでした。
デザインの参考になれば、と皇室専用の宮廷ホームを見学させてもくれました。これには学生より私の方が感動、感激しました。昭和天皇皇后両陛下が御用邸などに向かわれるお召し列車が運行され、ホームに入られるお車を目にしたことがあり、現天皇皇后両陛下は使われていないため、空(あ)かずの扉と思っていて在職中に入れるなどとは思ってもみなかったからでした。
いまゝでは騒音としか思えなかった電車の音のひびきが、いまはおだやかで心地よいバックグラウンドミュージックが流れているかのように聞こえています。

2016.11.30

やっと都心でも木々の葉やツタの葉が色づきはじめ、湯河原の里山もその木々の違いがわかるほど、それぞれ赤や黄色、橙(だいだい)色の濃淡が増(ま)してきて、いよいよ紅葉シーズンと思っていたら急な冷えこみで24日は雪が降り、急ぎ勝ちにやってきた早すぎる冬に、少しせっかちではないですか、と言いたい思いです。
東京では11月の初雪は54年ぶりとかで、翌日の湯河原は朝陽に映(は)える彩(いろど)られた紅葉と、その奥の雪化粧した箱根につながる山々が、秋から冬へ移りゆく季節の風景そのものでした。まだ紅葉にはほど遠いと思っていた10月半(なか)ば、山あいの川ぞいにある町立湯河原美術館で開催されていた、幽玄の美「能面と装束展」を見に行きました。世界で最も古いと言われ、現代にも演じつがれている能は、日本独特の舞台芸術であり、舞や歌の要素もある音楽劇であり、その能面や装束(しょうぞく)は日本の秀(すぐ)れた伝統工芸技術の粋(すい)でもあることを改めて感じました。
その日の夜、熱海サンビーチ特設会場で薪能(たきぎのう)が上演されることを聞き出かけました。薪能は夜かがり火を焚(た)いて演じる能楽ですが、熱海の海に中秋の名月が月の道を映(うつ)しその海から船に乗ってきた演者が舞台に立ち舞う海辺の薪能は、鼓(つづみ)と笛の調べが静かに響(ひび)き、目の前に広がる熱海の海とかがり火と月の光に、荘厳(そうごん)で幻想的な雰囲気がかもし出され、そんな空気に身を委(ゆだ)ね酔(よ)いしれながら、ベートーベンの「月光」やシューマンの「月の夜」や、芥川賞で話題になった芸人、又吉直樹の「火花」は、物語の始まりも終わりもこの熱海の海辺であったことなどが思い浮かびました。
今年の初詣は佐渡島の神社でしたが、そこには能舞台がありました。日本に残る能舞台の3分の1は佐渡にあるといわれ、その数は30を超え、かつては200ほどあったそうですが、そのほとんどがお寺や神社の境内(けいだい)にあり、その能楽スタイルは薪能で、日が沈むと能舞台のまわりに火が灯(とも)り、その中で演じられてる能は今風(いまふう)に言えば野外ライブでしょうか。佐渡ではこのようなステージの薪能が生活の一部になっていて、そんな土地柄は全国でも珍しいそうです。佐渡がなぜこれほどまでに能が盛んで生活に浸透(しんとう)しているのかですが、それは能を総合芸術として大成させ、観世流として現代に受けつがれている世阿弥(ぜあみ)がこの佐渡に島流しされたことや、江戸時代に能役者の息子であった金山奉行が能役者を同伴して赴任(ふにん)し、各地の神社に能を奉納(ほうのう)したことからともいわれていますが、これはまさに「奉能」です。
庶民の生活に根ざした佐渡の薪能は「能ある鷹は爪を隠す」の如(ごと)く謙虚でつつましい優雅なものですが、隠すほどの能がない私はできるだけ「能天気」でありたいと思っています。

2016.11.15

まだ秋を実感しないうちに暦の上では立冬(りっとう)になってしまい、実際の季節感とは違うとはいえ、早くも冬がやってきてしまった感がありますが、秋の気配を感じ始めた10月7日の夜、新宿京王プラザホテルで「東京デザイン専門学校創立50周年・校友会設立20周年記念パーティー」を開催しました。多くの卒業生、ご来賓、教職員、講師他598名の出席を得(え)て盛大な記念パーティーとなりました。
本校から理事長、学校長のアイサツ。校友会長、ご来賓の皆さまにご祝辞をいただき、宴(えん)半(なか)ばで卒業生を代表して、風間トオルの芸名で俳優として活躍しているディスプレイデザイン科卒業の須藤光春さんにアイサツをいただきました。会場では20〜30年前の卒業生と卒業以来の再会ができ、時間が一挙(いっきょ)に逆戻りして懐かしく思い出されるエピソードに花が咲きました。もう孫(まご)もいる卒業生もいて、私も年を重ねていることを改めて実感させられました。おかげさまで、こうして本校が創立50周年を迎えることができたのも、歴代の理事長、学校長、教職員、卒業生、在校生、保護者、関連業界、地元原宿表参道の地域の皆さまなど、本校に関わっていただいた多くの方々のご協力、ご支援があったからこそです。あらためて感謝とお礼を申し上げます。
私が校長に就任したのは、1号館が新校舎になった翌年の創立40周年のときでしたので、早くも10年になります。思い起こせばまだ土曜日の授業があったころ、土曜日だけならとグラフィックデザイン科の非常勤講師を引き受けたのが始まりでした。それから瞬(またゝ)く間の30数年でしたが、この記念すべきときに巡り合わせで校長であることを光栄に思いますし、その責任の重さも感じています。
創立50周年という高揚感の漂うなか、10月14〜16日。50周年記念学園祭「原宿祭」を開催しました。オープニングセレモニーのテープカットは実行委員の学生、理事長、学校長で行い、終えたところで原宿警察署長が来校され、本校への感謝状を授与(じゅよ)していただきました。これは本校の学生が地域の安心、安全のための防犯ポスターなどのデザイン制作で協力させていただいていることからでした。16日は、本校の学生がデザインした竹下通り入り口にあるアーチ上部に流す映像作品を公募した「竹下通りアートフェス」の公開審査が地下ホールであり、竹下通り商店会の役員の方と私も審査に加わりました。年々作品が多彩におもしろくなり、アーチに流れることを想像しながらの審査でした。
各科の学生作品展示、ワークショップ、学生主催のデザインアートフリーマーケット、仮装大賞、ライブステージ他、盛りだくさんで、竹下通りの賑(にぎ)わいとまではいきませんでしたが、多くの方に来校していただいて、50周年イベントは絶好調(ぜっこうちょう)でした。私も驕(おご)りや慢心(まんしん)を自制(じせい)しつゝ絶校長(ぜっこうちょう)でありたいとの思いです。

2016.10.31

やっと秋らしい陽気になってきましたが、私が高知入りした10月2日は、高知県各地で晴れ間が広がり30度以上になったところも多く、10月の観測史上最高気温を記録した、との報道がありました。翌日の県展審査日の高知市は、朝から雨が降ったりやんだりで気温も30度を下回りました。
高知県美術展覧会(県展)の公募作品は思っていたよりレベルが高く、それらの作品にきちんと応(こた)えるべく審査をさせていただきました。高校生の出品も多く、その可能性を感じさせる新鮮な発想は魅力的でしたが完成度がやゝ低く、多くの作品を選外にしたことは辛いことでした。高知、土佐に因(ちな)んだ作品が多く、それらの作品から居(い)ながらにして高知のこと、土佐のことが俯瞰(ふかん)して見えてきて、より広く深く知ることができました。そんな作品群の中、以前から興味があった土佐の絵金をテーマにしたポスターを「特選」としました。この絵金(通称)は幕末を代表する浮世絵師で、江戸で狩野派に学び土佐に帰って描いた芝居絵は、鮮やかな色彩の怪奇(かいき)的でおどろおどろしい、特異(とくい)な画風の異端(いたん)の画家でした。その他の受賞作品、入選作品の審査、展示配列、全体講評、入賞作品の講評など高知新聞学芸部の取材を受け、全役割を終えましたが、いつも審査をするたびに、他人の作品を審査することなどは、なんという傲慢(ごうまん)で不遜(ふそん)なことだ、との思いがつきまといます。
飛行機の時間まで少し間(あいだ)があり、高知新聞の方が高知駅近くの中心部を案内してくれました。路面電車が走るのを目にしながら、土佐の大料亭と言われる得月楼(とくげつろう)を前にして、こゝをモデルにした高知市出身の宮尾登美子の小説「陽暉楼(ようきろう)」が思い浮かびました。「鬼龍院花子の生涯」「櫂(かい)」と高知3部作とも呼ばれ、遅咲きのその波乱な生涯の作品は直木賞他多くの文学賞を受け、映画化、ドラマ化もされ、一世(いっせい)を風靡(ふうび)しました。そんな作家の原点ともいえる場所に、ほんのひと時佇(たたず)んで、宮尾作品に浸(ひた)ることができました。このコラムを読んでいてくれ、私が東京でよさこい踊りの審査員をしていることを知り、「よさこい情報交流館」へ連れて行ってくれました。こゝにはよさこい祭りの熱気が漂い、歴史や魅力が詰まっていて、来年の審査は見かたや見えかたが違ってきそうです。次に向かったのは、かつてペギー葉山が歌って大ヒットした「南国土佐を後にして」の歌詞にもあり、よさこい節(ぶし)のフレーズにもなっている「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」のはりまや橋でしたが、その赤いタイコ橋のあまりにも小さいことにおどろきました。これは有名観光スポットだけど行ってみたらがっかりする日本3大がっかり名所のひとつだそうですが、それはそれで面白く、私は好きです。高知、土佐といえば坂本龍馬ですが、龍馬に関わるところには行けませんでしたが空港の愛称は高知龍馬空港でした。
よさこい節(ぶし)を思い心に浮かべながら、そのスローテンポなリズムに合わせてお土産にいただいたカツオ節(ぶし)を削(けず)っています。

2016.10.18

10月に入っても真夏日があるなど、暑い日が続いて秋という季節は訪れないのでは、と思うほどでしたが、急に涼しくなったり気温の変化がはげしく、このか弱い体が戸惑(とまど)うばかりです。
秋といえば、奈良時代に山上憶良(やまのうえのおくら)が、野に咲く中から選んで詠(よ)んだ秋の七草が想い浮かびます。「萩(はぎ)の花 尾花(おばな)葛花(くずばな)撫子(なでしこ)の花 女郎花(おみなえし) また 藤袴(ふじばかま) 朝貌(あさがお)の花」その頃は桔梗(ききょう)を「朝がお」の名で呼んでいたのだそうです。秋の彼岸(ひがん)に供(そな)える「おはぎ」は「萩」から由来しているのだそうです。
湯河原の川沿(かわぞ)いや野や里山でこれらを見かけることがありますが、桔梗はまだ見たことがありません。私は湯河原に移って5年目ですが、今年が町村合併60周年になるとのことで、その記念事業のひとつとして湯河原駅に町内の小中学生1500人が参加して完成させた、タテ3メートル、ヨコ6メートルの白い大型の陶板レリーフのパブリックアートが設置され、10月2日その除幕式があり、東京オリンピックの新国立競技場をデザインした建築家、隈研吾(くまけんご)さんも出席されました。隈さんは湯河原駅前ロータリー改修の設計を手掛けた縁もあり、この陶板レリーフの監修も担(にな)ってくれたのだそうです。狙(ねら)いは「多様性の調和」で、その「町村合併60周年記念事業陶板レリーフ竣工祝賀会」がホテルで行われ、出席へのご案内を町長からいただいたのですが、この日は生憎(あいにく)10月7日〜23日に開催される高知県美術展覧会(県展)の審査のため、高知に行かなくてはならなかったことから、欠席せざるをえず、隈研吾さんに会うことができず残念でした。
その日は体験入学と保護者説明会もあり出校し、役割を終えて羽田から高知入りしホテルに直行しました。すでに夜になっていたため、最上階(22階)のレストラン&バーで高知市内外のパノラミックな夜景を眺めながら、高知のカツオをメインにした料理のバリエーションを堪能(たんのう)させてもらいました。
翌3日の朝、9時半よりグラフィックデザイン部門の審査を始めました。各部門それぞれ1人の審査員で地元の審査員はおらず、県展審査員名は新聞紙上や電波媒体に発表されるまでは公表されず、地元出品者、県展関係者との事前接触も禁じられているなど、厳(きび)しすぎると思えるほどの公明正大(こうめいせいだい)な審査でした。1人での審査はやりやすい反面、責任も重く緊張感もあります。高知新聞のスタッフの方々が進行のサポートをしてくれ、スムーズに行うことができました。短い滞在の初めての高知でしたが、濃い時間ですっかり高知に染まってしまいました。その辺(あた)りのことは次回に触(ふ)れさせていただきます。

2016.9.30

このところ朝夕(あさゆう)吹く風が秋色になってきましたが、秋は実(みの)りの季節でもあります。実りの秋の果物といえばリンゴ、カキ、ナシ、ブドウ、クリ、イチジク、早生(わせ)ミカンなどがありますが日本の秋の実りといえば、しなるほどに豊かに実がついた稲穂(いなほ)ではないでしょうか。米のもとである稲穂は穀物(こくもつ)として種(たね)のイメージがありますが、果皮と種皮が融合(ゆうごう)して分離できないため種子(たね)であり、果実(かじつ)でもあるイネ科特有の「穀果(こくか)」という果実なのだそうです。種子のように見えるコムギ、キビ、アワ、トウモロコシなども同じイネ科の「穀果」という果実だそうです。
秋は品種改良された甘くて美味しい果物がたくさんありますが、里山などではヤマグリ、ヤマブドウ、マタタビ、クルミなど野生の実(み)が見られるころです。中でも懐かしく想い出すのは紫色のアケビです。子供のころツルにぶら下がっているアケビを見つけ採(と)るのがたのしみでした。その白い半透明のゼリー状の実には黒い小さなタネがびっしりつまっていて、それを種ごと口(くち)に含み、種だけ思いきり吐(は)き出して食べた、ほんのり甘い香りとその味(あじ)は遠い記憶の中の秋の味になっています。実が熟(じゅく)して割(わ)れたところが、人間があくびをしている姿に似ているため「あくび」→「あけび」となったという説や、熟すと実が裂(さ)けたように開くことから「開け実(あけみ)」と呼ばれ、それが「あけび」になったなど、いくつか説があるようです。
アケビによく似ているのに「ムベ」があります。都心でも公園や垣根(かきね)、住宅の庭などで目にすることがありますが、ほとんどの人がそれをアケビと思っているようです。私も東京で初めてこのムベを見た時はアケビと思っていたのですが、何か微妙(びみょう)に違うなと調べてみたら、それが「ムベ」であることを知りました。アケビは関東から北に分布(ぶんぷ)し、ムベは関東より西の温暖な地に分布しているのだそうです。見た目も味もほとんど変わりませんが、アケビは落葉し熟(う)れると実は割(わ)れるのですが、ムベは常緑で熟しても実は割れません。別名をトキワ(常緑)アケビともいうそうです。そういえば「ムベなるかな」とか「ムベもない」という言葉を読んだり聞いたことがありますが、これは古い伝説から来ているのだそうです。季節は秋、琵琶湖のほとりに狩りに出かけた天智天皇がその地で健康な老夫婦に出会い、長寿の秘訣をたずねたところ、毎年この地で取れる無病長寿の霊果(れいか)を食べているから、とその果実を差し出し、それを口にした天智天皇が「むべなるかな」と得心(とくしん)したことから、この果実を「ムベ」と呼ぶようになったのだそうです。この「むべなるかな」は「いかにも、もっともなことであるなあ」と納得(なっとく)する意味だそうです。
稲が果実だというのは驚きですが、人格者ほど謙虚(けんきょ)であるという例(たと)えに「実るほど、頭(こうべ)を垂(た)れる稲穂かな」があります。私は頭を垂れるほど実ってはいませんが、その言葉には「ムベなるかな」です。

2016.9.16

夏のにぎわいが去って、ついこの間のことなのにどこか懐かしく、さびしい夏の終わりを感じますが、夏休みが終わって2学期が始まった校内は、青春の谺(こだま)が飛び交(か)い、まだ夏の余韻(よいん)が漂っています。
こゝ原宿表参道の夏の終わりは、8月27日(土)28日(日)の2日間行われた「原宿表参道元氣祭 スーパーよさこい2016」でした。今年も審査委員をたのまれ、27日の初日(しょにち)全国各地から参加した102チーム約6000人が踊る「よさこい」を、特設の審査員席から見させていただきました。ほとばしるエネルギーで日本人のアイデンティティを発信するその踊りが、次から次へと繰(く)り広げられ、沿道を埋(う)めた観客にも共感と感動を呼んでいました。審査は楽曲、振付、など10項目ほどあり、踊りを見ながらの採点は大変でした。多くのチームが伝統的な「よさこい」を独自にアレンジしている中で、「もしもし原宿」で歌手デビューして今や日本のカワイイ文化の代表のようになっている「きゃりーぱみゅぱみゅ」が所属する地元原宿にある事務所「アソビシステム」のチームがアイドル系の衣装と踊りで出場し、その異色さが異彩(いさい)を放(はな)っていました。
この「よさこい」は高知県が発祥(はっしょう)の祭りで、高知からの参加チームも多く、審査員にも加わっています。私はこの10月に高知県美術展のデザイン部門の審査員を頼まれていることもあり、本場の高知に思いを馳(は)せながらの審査でした。
夏の終わりがあれば、秋の始まりがあります。「よさこい」の審査をした翌日の日曜日は「秋季保護者会」があり、出校しました。私は挨拶で学校の現況などを話し、学科長、学級担任との個人面談、専門家による講演「保護者だからできる就活サポート」などの内容でした。多くの熱心な保護者の方々に出席していただきました。
もうひとつの秋の始まりは8月31日〜9月12日まで国立新美術館で開催された二科展でした。恒例のテープカット、絵画部、彫刻部、写真部、それぞれの授賞式、親睦(しんぼく)パーティーに出席しました。かつて東京都美術館で開催されていたころは9月1日〜20日までと決まっていて、二科展の開催が「芸術の秋」の始まりとしてメディアで報道されたものでした。受賞、入選した本校の学生、卒業生とはデザイン部の授賞式、パーティーで共に祝いました。今年の話題は絵画部に入選し、会友推挙された工藤静香さんでした。SMAPの解散騒動もあり、報道陣が押しかけましたが、その話題には一切(いっさい)触れない対応でした。ちなみに作品タイトルは「心模様」でした。わがデザイン部でもアイドルグループ「乃木坂46」のメンバー若月佑美さんが5回連続入選したことが話題になり、私もその作品について本人と共に取材を受けました。乃木坂にある国立新美術館は5月にリリースされた2ndアルバム「それぞれの椅子」のジャケット撮影をした場所でもあることを聞きました。アイドルといえば工藤静香さんも元おニャン子クラブの人気アイドルでした。この「アイドル」の本来の意味は、「偶像・崇拝される人や物、あこがれの的、熱狂的なファンをもつひと」などを意味する英語ですが、日本では親しみやすい存在、成長過程をファンと共有するなど、日本的美意識の独自のアイドル像になったようです。

私も本校の本来の意味でのアイドルでありたい、というよりアイドルです。間違いました、アイドロ(愛泥)でした。

2016.8.31

暦の上では秋になっていますが、まだまだ暑い日が続いていて、秋などほど遠いと思いながらも、ついこの間までうるさいほどに鳴いていたセミも少なく弱くなり、虫の音(ね)が混じり、秋の気配もかすかに感じます。にぎやかに一斉(いっせい)に鳴いていたかのセミも午前中にはクマゼミ、午後はアブラゼミ、夕方にはヒグラシなどが主(おも)に鳴いていたのだそうです。
日本のセミは約30種で、世界では1600種もいるそうです。日本で最(もっと)も広い地域で見られるのはアブラゼミで、一番大きなのはクマゼミだそうです。そんなそれぞれ違うセミの鳴き声や、虫や鳥の声などをさまざまな想いで聞き、季節や情景など、何らかの意味を感じとるのは、日本人が言語を理解する左脳で鳴き声を聞いているから、という説があるそうです。セミの抜け殻(がら)を「空蝉(うつせみ)」と言いますが、これは空(むな)しいこと、儚(はかな)いことを例(たと)えとして用(もち)いられたのですが、なんという切(せつ)なく美しい響(ひび)きの名でしょうか。
私にとって夏の風物詩であり、季語でもある「痛風」が今年もやってきました。毎年同じころ律儀(りちぎ)に訪れます。右足の親指周辺が腫(は)れるのですが、風が吹いても痛いというその名のとおり、靴をはくのも痛く、歩くのも辛(つら)いのですが、自虐的(じぎゃくてき)な性格から人間ドックの日までガマンしました。その魔(ま)の日、魔の時間がやってきました。それは胃のバリウム検査です。ゲップをガマンするように言われるのですが、発泡(はっぽう)させてゲップをガマンできますか?自然発生的に出てしまい、気がついた時にはすでに遅(おそ)しです。今年もやり直しで2回飲みました。死ぬ思いで回転させた、このいとおしいわが身をやり直しで何回も転(ころ)がされ、心身(しんしん)ともに消耗(しょうもう)してしまいました。夏バテです。この日以外に夏バテを感じたことはありません。
ひととおりのコースを終え、痛風の痛み止めの薬をもらったのですが、原因となっている尿酸値を下げる薬はもらいませんでした。10年ほど前、はじめて発症した時は何が起きたかわからないほどの激痛で、そのときは薬を飲んでいたのですが、ある日、新聞のトップニュースにその薬の名があり、副作用で年間◯◯◯人死亡しているという内容で、それから飲むのをやめたまゝになっています。飲むように言われたにもかかわらず飲まないでいた血圧の薬は最近飲みはじめました。医者からだけではなく、友人、知人からも飲んだほうが良いと言われ、ついに世論(よろん)に負けました。が、この薬も某週刊誌の特集で飲んではいけない、やめたほうがよい薬にその名があり、心おだやかではありません。そうか、クスリはリスク。なんだ、副作用があるのは当たり前だ。と納得(なっとく)してクスリと笑いたいところですが、そうもいかず迷い悩んでいます。

2016.8.16

太陽が照りつける盛夏。その炎暑(えんしょ)の青空に映(は)える花に、ヒマワリ、ザクロ、サルスベリ、リョウセンカ、キョウチクトウ、ケイトウ、カンナ、グラジオラスなどがありますが、それらに比べると地味でひっそりとけなげに、清楚(せいそ)なたゝずまいで咲いている白い花のヤマユリ(山百合)があります。山野に自生するヤマユリは、いま、山あいや東海道線や伊豆急の線路ぞいの草むらなどで見られます。ヤマユリの他に自生している野生種に、濃(こ)いオレンジや淡(あわ)いピンクのオニユリ、テッポウユリ、ヒメユリ、スカシユリ、オトメユリ、ヒメサユリ、ササユリなどがあり、ササユリ(笹百合)は地域によってはヤマユリと呼ぶこともあるそうです。こうした野生種や園芸種などを総称してユリ(百合)と呼ぶそうです。
ユリの花といえば白いユリを思い浮かべますが、クロユリ(黒百合)もあります。黒い花のユリがあることを知ったのは、子供のころラジオから毎日のように流れてくる「黒百合の歌」でした。その歌詞には「黒百合は恋の花・・・・、黒百合は魔物・・・・、黒百合は毒の花・・・・」などがあり、高山に咲く神秘の花ですが、不吉の花ともいわれるその花言葉は「恋」「呪(のろ)い」で、そんな花に興味をもち、後年(こうねん)、まだロープウェイがなかった中央アルプスの西駒ケ岳へ5時間ほどかけて登り、お花畑でクロユリと感動の対面をしましたが、その色は黒というより黒に近い紫色でした。
栄養豊富で健康や美容によいことから、京懐石(きょうかいせき)や、おせち料理、精進(しょうじん)料理などに使われるユリの根(百合根)は主(おも)にオニユリの根だそうです。その花びらのような白い根のホクホクとした食感から醸(かも)しだされる上品な味は、滋味(じみ)という言葉そのものです。
ユリに似た夏の花に同じユリ科でオレンジ色の一重咲きのノカンゾウ(野萱草)、八重咲きのヤブカンゾウ(藪萱草)や、山の草原などに自生するニッコウキスゲなどと呼ばれるものもあり、このカンゾウの若芽、若葉、花は食べられる野草であり、薬草でもあります。古く万葉集などではその花を、憂(うれ)いを忘れさせる、との意味で「忘れ草」と詠(よ)まれています。
ユリ(百合)といえばこの夏、女性初の都知事となったのは小池百合子さんですが、初登庁の日、渡された花束は白百合でした。そういえば前知事の舛添さんが湯河原の別荘に公用車で通い話題になった、その別荘あたりにも山百合が咲き誇っています。吉永小百合さんのサユリはササユリの別名であり、美称(びしょう)でもあるそうです。ユリの花言葉は「清浄、上品」で美人を形容する言葉に「立てばシャクヤク(芍薬)座ればボタン(牡丹)、歩く姿はユリ(百合)の花」。がありますが、もともとは、漢方薬の用い方を例(たと)えたものだそうです。私はさしずめ、「立てばドクダミ、座ればザクロ、歩く姿はサルスベリ」。でしょうか。

2016.7.30

湯河原の里山から張(は)りのない声で、ときおり夏ウグイスの声が聞こえていたのですが、いつの間にかそれをかき消すようにセミの鳴き声が多く、強くなり、梅雨明けとなったいま、一斉(いっせい)に鳴くその声はまさに蝉時雨(せみしぐれ)です。
夏の鳴き声といえば、渓流沿(けいりゅうぞ)いにある温泉宿で聞いた河鹿(カジカ)を想います。爽涼(そうりょう)という言葉が浮かんでくるようなその澄(す)んだ美しい鳴き声は、そよ風がさわやかに吹きぬけるように暑気(しょき)を忘れさせてくれました。このカジカはカジカガエル(河鹿蛙)のことで、これは鹿のように美しい声で鳴くところから、山鹿に対して河の鹿と呼んだのだそうですが、大人たちがカジカガエルとは言わないでカジカと言っていたので、私は子供のころこのカジカを清流にいる魚のカジカが鳴いているのだと思いこんでいました。
蛙は(かえる)(かわず)の2つの読み方があり、「かえる」は日常語として、「かわず」は詩歌などの表現に言い分けられているようです。芭蕉の有名な句「古池やかわず飛びこむ水の音」や「井の中の蛙(かわず)大海(たいかい)を知らず」など名言もありますが、かえるの中で一番美しい声で鳴くカジカガエルは古来から日本人に愛されていて、万葉集には「河津、川津、川豆、河蝦」などと表記されているのですが、その多くはカジカガエルをさしているのだそうです。この小さくて美しい声のカジカガエルの対極(たいきょく)にいるのは、ウシガエル(牛蛙)でしょうか。水田や農業用水などにいるウシガエルは北米産の食用ガエルで、大正時代にアメリカから食用目的として持ち込まれたものが逃げ出して、日本各地に自然繁殖(しぜんはんしょく)したのだそうです。国内では最大級のカエルで、牛のような鳴き声であることからその名がついたようです。夜はその得体(えたい)の知れない異様な鳴き声が気になって眠れないほどです。
終戦後の数年間、このウシガエルがアメリカへ高級料理の食材として缶詰(かんづめ)にして輸出されていたそうです。専門に捕獲(ほかく)する人たちもいたのですが、農薬を使用するようになり、輸出が禁止されてしまったのだそうです。中華料理やフランス料理では食材としてつかわれていますが、日本でも飲み屋のメニューにカエルがあるところがあり、私もひところよく食べたものです。知らないで食べれば鳥肉と変わらず美味でした。もちろんあの姿、形のまゝではなく、モモの部分を揚(あ)げたり、炒(いた)めたり、焼いたりしたものでした。
カエルといえば、カエルが好きで好きでたまらなかった卒業生を思い出します。クリエイティブアート科の女子学生でしたが、作品のほとんどにカエルが表現され、竹下通り入口のアーチ上部に流す映像のコンクールにも応募して、そこにもカエルが登場し竹下通りにカエル?と我々審査員を驚かせてくれたその作品は、意外性があり入賞しました。学園祭では自分でつくった着ぐるみで学内を回るなど、そのカエル愛は大変なものでした。そんなカエル愛の学生に、カエルを食べたことがあるか聞き、無(な)いとの返事に、カエルはおいしいよ、一度食べると病(や)みつきになるよ、愛の究極は食べることだよ、などと冗談(じょうだん)のつもりで言ったのですが、その学生はみるみる涙ぐんでしまい、慌(あわ)てゝしまいました。
私はどうも不器用で冗談と普段(ふだん)の表情がほとんど変わらないようで、その時の学生からの冷たい視線がよみガエルたびに猛省(もうせい)をしています。

2016.7.14

7月に入ると一気(いっき)に暑さが増し、青葉が繁(しげ)った樹(き)の下の、涼しい木陰(こかげ)を意味する「緑陰(りょくいん)」という言葉が浮かんできます。そんな木々の緑に染(そ)まったようなさわやかな風を、「青葉風(あおばかぜ)」と呼び、梅雨(つゆ)はじめのくもり空に吹く風を「黒南風(くろはえ)」というそうですが、これは暗くどんよりとしたゆううつな気持と、空や雲の色を重ねて「黒」とされたようです。梅雨明けの明るい空に吹く風を、「白南風(しらはえ)」というそうですが、それはもう少し先になりそうです。
黒南風のような天候であった先月、「国立オリンピック記念青少年総合センター」で、恒例のスポーツ大会を行いました。各科対抗のドッジボールと綱引きでしたが、私は開会のアイサツで、ツナヒキは古代オリンピックでは花形競技であったこと、クリエイターにとって想像力は大事です、こゝが古代オリンピック会場であると思いこんで、古代オリンピックに思いを馳(は)せて戦うように伝えました。始まった熱戦は、あたかも古代オリンピックのごとくにくり広げられ、学生たちのエネルギーあふれる戦いと応援の、その熱気とはうらはらに私には、そよ風がさわやかに吹きぬける涼しい「緑陰」のような、心地よい空間と時間でした。
この会場は1964年の東京オリンピックの選手村であったところですが、思いおこせばその開会日は10月10日の秋晴れでした。後(のち)にこの日が体育の日になり、2000年から10月の第2月曜日に変更されましたが、スポーツをする季節としては適しているといえます。2020年の東京オリンピックは、7月24日が開幕日となっていますが、暑くて高温多湿の日本の夏のこの時期は、観客、選手の熱中症が気になるところです。「熱に中(あた)る」からきている、熱中症の英訳は「ヒート・ストローク」だそうですが、ストロークは発作(ほっさ)などを意味するそうですから心配です。当然そんなことは織(お)り込み済みでのことでしょうから、当事者ではない、関係者でもない、私ごときが心配することではありませんが、なにしろ小心(しょうしん)で心配性なものですから…。
2020年の「夏の思い出」は東京オリンピックになるのでしょうか。夏の思い出、とかひと夏の冒険。とか夏がつくと印象がつよく、なぜか心がさわぎます。こんな私にも忘れられない夏の思い出はいくつかありますが、そのなかでも50年ほど前に初めて訪れた「尾瀬」を想います。物心(ものごころ)がついたころ、NHKのラジオ歌謡という番組で放送された、その名もズバリ「夏の思い出」という曲の詞が<夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空 霧の中にうかびくる やさしい影 野の小径 水芭蕉の花が咲いている・・・はるかな尾瀬 遠い空>。この歌が夏になると季節の名曲としてラジオから流れ、尾瀬への想いが募(つの)り、でかけたのですが、そこは美しい山の稜線(りょうせん)にかこまれた、広大な湿原で、木道を歩きながら眺めるその景色は歌の世界そのものでした。
そんな夏の思い出は遠くなりましたが、耳も遠くなり、タレントの「香取慎吾(かとりしんご)」という名が「蚊取り線香(かとりせんこう)」と聞こえてしまいました。

2016.6.28

 

水無月(みなづき)といわれるこの6月は、水が無い月ではなく「無」は「の」という意味で「水の月」なのだそうですが、かつてはこの時季の梅雨(つゆ)は、田植(たう)えをする田んぼに水をはるので、「水張り月」といった恵(めぐ)みの雨でした。いつのころからか記録的な大雨とか、局地的な豪雨とかいわれる災害をもたらす雨のイメージの方がつよくなってしまいました。梅雨(ばいう)といわれていたのが梅雨(つゆ)と呼ぶようになったのは、「露(つゆ)」を連想したことからともいわれます。
いま、道すがら、あちこちの草むらに咲いている明るい青色の小さな花「露草(つゆくさ)」が目につきます。あたりまえのように咲いているこの花はあまり注目されませんが、その可憐(かれん)で澄(す)んだ水色にはなんとも愛(いと)おしく、心(こころ)惹(ひ)かれます。朝咲いた花が昼しぼむところが朝露(あさつゆ)を想わせることから「露草」と名づけられたようですが、その色から青花(あおばな)藍花(あいばな)とも呼ばれ、古名は「月草」といゝ、万葉集などでも「つき草」と詠(よ)まれています。これは着き草の意味で、花の汁で布を水色に染めたことからきているのだそうです。
日本の梅雨(つゆ)は大地の渇(かわ)きを癒(いや)し、草木も野山も生きとし生けるものすべてのものがみずみずしい雨の色に染まり、木々の青葉を生き生きとつややかに濡(ぬ)らす雨が、枝葉から幹へとつたわり落ちるそのさまを「青時雨(あおしぐれ)」と呼ぶそうです。そんな色鮮(いろあざ)やかな雨に濡れた緑(青)の色を美しいと感じる色彩感覚は、日本人特有の感性ではないでしょうか。雨はそんな日本人の美意識を育(はぐく)んできたともいえそうです。
江戸時代なかばごろまでの日本では、水の青さを表現するのには自然界にある藍(あい)や露草、藍銅鉱(あいどうこう)などを利用してきたのですが、ヨーロッパでは青色の絵の具をつくるのに、イランやアフガニスタンなどで産出される宝石の原石(ラピスラズリ)をつかっていたのですが、砕(くだ)いたり、不純物をとり除(のぞ)くのも大変な手間(てま)と時間がかかることから高価になり、オリエントの地から海路を運ばれてくるその神秘的な青色は「海を越えてくる青」を意味する「ウルトラマリン」と呼ばれ、純金と同額で取引されたといわれます。その後、ヨーロッパで化学合成に成功した青色の顔料(がんりょう)「ブルシャンブルー」ができ、日本にも入ってきて少しずつ絵の具としてつかわれるようになったのだそうです。
6月といえば「ジューンブライド」ですが、欧米では青色は花嫁に「幸せを呼ぶブルー」といわれていて、挙式当日に花嫁が何か青いものを身につけている、という習慣があるそうです。何かと色々あった東京オリンピック・パラリンピックの新エンブレムが決まりましたが、そのデザインは異(こと)なる国や文化がつながる「多様性と調和」のメッセージが込められているという「組市松紋」で、そのカラーは青色の中でも深い青の藍色で、その藍(あい)は愛(あい)につながる色のように思えてきました。

2016.6.14

梅雨入(つゆい)りしたとみられる、との発表があり、しばらくは曇りや雨の日が多い、うっとおしい、じめじめした日が続きますが、そんな梅雨の晴れ間、木の青葉が茂って重なり合って、下から見ると太陽に透(す)けて、その重なりがお互いの葉があたかも手をつなごうとしているかのように見え、そんなようすを「結び葉(むすびは)」と呼ぶそうですが、なるほど、と思うやわらかな美しい言葉です。
梅雨どきに似合う花はアジサイですが、花菖蒲(はなしょうぶ)もこの季節です。優劣(ゆうれつ)が付(つ)け難(がた)いことを例(たと)えるときにつかう「いづれがアヤメ、カキツバタ」という言葉があるくらい似ているアヤメとカキツバタですが、ハナショウブも似ていて、これらはアヤメ科のアヤメ属で、菖蒲湯(しょうぶゆ)につかう菖蒲は別な植物で、サトイモ科ショウブ属なのだそうです。花はガマの穂のような地味なもので目立たず、葉菖蒲ともいゝ、薬草として漢方薬などにもつかわれ、血行促進や疲労回復効果があるそうです。冬入ると一年間風邪をひかないという柚子湯(ゆずゆ)がありますが、どちらも香りが豊かでリラックス効果があり、邪気を払うという風習でもあるそうです。
そういえば緑茶風呂があるホテルには、コーヒー風呂、ワイン風呂などの変わり風呂もあるそうですが、観光地にはバラ風呂、ミカン風呂、リンゴ風呂などがあり、日本酒を入れて入浴する酒風呂が、発汗作用があり美容によいとかで、女性の間でひところ流行(はや)りましたが、いずれも入ったことがありません。そんな変わり風呂をいろいろと想像するだけでウキウキ、ワクワクします。その香りや効用、浮く浮かない、お肌に良い悪い、衛生面などは無視をして、見た目の楽しさ面白さで想い描くと、その世界は限りなく広がります。レモン、カボス、スダチ、キンカン、ダイダイ、カラタチなどのカンキツ系やウメ、ナシ、カキ、ブドウ、オリーブなどの果実風呂、アジサイ、ユリ、ボタン、ヒマワリなどの花風呂はどちらかといえばあまり違和感はありませんが、キュウリ、ナス、ブロッコリー、ピーマン、ショウガ、ミョウガ、シソ、ヒョウタン、アボカド、エダマメ、トウモロコシ、アスパラ、モヤシ、キノコ、ワカメ、ジャガイモ風呂などはビミョウです。色どりがキレイなのはパプリカ、プラム、サクランボ、アンズ、ニンジン、トマト風呂などですが、インパクトがあるのはスイカ、カボチャ、タケノコ、キャベツ、ダイコン、ハクサイ風呂。贅沢(ぜいたく)なのはメロン、マンゴー、ビワ風呂でしょうか。それはいかがなものか、というのにはイガつきのクリ、ネギ、タマネギ、ニラ、ニンニク、レンコン、ゴボウ、ヤマイモ、ワサビ、ラッキョ風呂などが思い浮かびます。この数あるなかでひとつだけ選ぶとなれば私はタマネギが好きなので、というよりこよなく愛しているのでタマネギ風呂になります。ただ迷い悩むのはそのまゝの皮つきか、皮をむいた方がよいか、ですがどちらにせよ湯船一面にタマネギが浮かんでいる中につかることを思い描くだけで、これ以上はないという豊かな幸せ感で満たされます。私の入浴シーンなどは想像したくはないでしょうが、いま私の頭の中はタマネギ風呂に入っている己(おのれ)の姿でいっぱいです。

風呂の語源は諸説あるようですが、茶の湯で抹茶を点(た)てるときにつかう、湯を沸(わ)かす釜(かま)を「風炉(ふうろ)」ということからきているという説もあるそうです。
ゆううつな梅雨空を吹きとばすべく、少なくともどれかは試(ため)してみたい、というより生涯の目標として、風呂(不老)長寿(ふろうちょうじゅ)といきたいものです。

2016.5.30

空の色、風の音、水の光、人の装(よそお)いに夏の訪れを感じますが、深みを増した緑の里山に点在(てんざい)する楠(くす)の木は、木々のなかでもその黄みがかった明るい緑色が、夏の光で湧(わ)きたつように、ひときわ美しく映(は)えて見えます。そんな山裾(やますそ)には同じ照葉樹である若葉の緑がかがやく茶畑がつらなっていて、爽(さわ)やかな緑の香りと、鮮やかな色の新茶を想う季節の風景が広がっています。その年の最初に新芽の若葉を摘(つ)んだ煎茶(せんちゃ)が新茶ですが、魚や野菜の初物(はつもの)を「走り」というように「走り茶」とも呼び、新茶に対して前年とれた茶葉を古茶(こちゃ)というそうです。この古茶は店頭に並ぶことはないそうです。
日本茶は緑茶が主(おも)ですが、茶の元祖の中国では産地や製法によって、中国茶と言われるその種類は数千種もあるなか、大きく分けると青茶、黒茶、緑茶、紅茶、白茶、黄茶などの6種類だそうです。中国で生み出されたお茶は、紀元前の史書にも見られるほど歴史は長く、初めは煎(せん)じ薬としてのものだったそうです。
原産地といわれる雲南省には、高さが10メートルを越すような千年以上の樹齢(じゅれい)の茶の大木が自生していて、いまでも登って茶を摘(つ)んでいる少数民族がいるそうですが、そのほとんどは薬や栄養飲料として尊(とおと)ばれているようです。雲南省の奥深くに住む少数民族の昔ながらの生活から、日ごろお茶を飲んだり、食事をしたりするような、ごくあたり前のありふれたことを言う、「日常茶飯事(にちじょうさはんじ)」という言葉が浮かんできました。これらは、カメラマンの友人が中国雲南省に数年かけて10回も訪れて、グラフィック版茶の文化誌として出版した、写真集「嘉木悠遠(かぼくゆうえん)」<中国雲南省に茶の源流を求めて>を、送ってくれたことから知りました。
日本の緑茶(りょくちゃ)は健康や美容によいとされる葉緑素やビタミンC、食物繊維やリラックス効果のあるテアニンやダイエット効果のあるカテキンなどが含(ふく)まれているのですが、新茶にはアミノ酸が多く、それがまろやかな旨(うま)みになっているのだそうです。新茶は甘み(旨み)、苦味、渋みのバランスがよいのだそうです。緑茶の緑(みどり)は本来、草木の新芽を示す言葉で、後(のち)に色の名に転じたもので、「みどり児(ご)」というのは新芽のような若々しさに由来し、英語の「グリーン」も「ガーラ」という成長を意味する言葉が語源だそうです。
お茶の香りに包まれてリラックス効果があるという、緑茶風呂がある箱根のホテルで、5月のみ期間限定の生茶風呂なるものがあったそうです。私は日本茶が好きですが緑茶風呂に入ったことはありませんし、これからも入ることはないと思いますが、健康や美容によいとされる日本茶を多く飲んでいることから、日ごろは特にお肌のケアはしていないのですが、結果として内側から効いているのか、肌にツヤ(艶)がありますね、元気ですね、などといわれます。これからも透明感のあるこの素肌の魅力を保つために、日本茶をできるだけ飲んでお肌のケアを怠(おこた)りないようにしたいと思います。

2016.5.16

おだやかに、春から初夏にかけて移(うつ)ろうころ、春深(はるふか)し、晩春、惜春(せきしゅん)などの言葉があるような、行く春を惜(お)しむという感情にひたることなく、いきなり夏になったようなゴールデンウィークでしたが、湯河原の里山では、むせかえるばかりのきらめく光の中で、見るもさわやかな木々それぞれの若葉が萌(も)え、青葉が燃(も)え立つように輝き、その若葉青葉の匂いとミカンの花の香りが風に漂(ただよ)っていて、いま、まさに風薫(かぜかお)る5月です。
湯河原からは、箱根や伊豆にはゆっくり日帰りできるため、あちこちに出かけたのですが、以前から興味や関心があった静岡の登呂遺跡にも行ってきました。そこには、弥生時代から始まったと言われる復元されたカヤブキ屋根の住居、高床倉庫、祭殿、水田などがあり、約2000年前の弥生人が富士山を望むこの地で、懸命(けんめい)に農耕村落を営(いとな)んでいたことが想像される風景がありました。この遺跡は戦時中(昭和18年)軍需(ぐんじゅ)工場を建設するときに発見され、調査を始めたところ戦況(せんきょう)が悪化(あっか)したことから中止になり、敗戦から2年後の昭和22年、米軍主体の連合国軍の占領下に発掘が行われたのだそうです。そのころ世の中は、生きるのに必死で食糧事情も悪く、遺跡の発掘どころではないような状況のなか、実動部隊として参加したのは、そのほとんどが戦争帰りの東京の大学生だったそうです。真夏の暑い中、空腹に耐(た)え、スコップで掘り土をモッコで担(かつ)いで運ぶという、労働に励(はげ)んでくれたことから、世界で初めて発見されたのが弥生時代の水田と、村落の共存がわかる水田遺跡でした。敷地内にある登呂博物館には出土した農具、弥生式土器、木製容器など当時の生活用品が展示されていて、弥生人気分で脱穀(だっこく)や火おこしなどができる体験コーナーもありました。
登呂遺跡の一画(いっかく)にある、静岡出身の芹沢銈介美術館にも寄りました。柳完悦が中心となって行った、無名の職人たちが生み出した、日常の道具に美を見出そうとする民芸運動にも関わった、この作家の文字をデザインした「型絵染」の作品が好きで、展覧会があるとよく見に行きました。帰り際(ぎわ)静岡から通っていた、実家が茶葉の生産農家で、就職が決まり東京で一人暮らしを始めた、今年の卒業生の顔が思い浮かびました。顔と言えば縄文系と弥生系の顔の特徴からすると、私の顔はこのコラムの似顔絵から見ると、縄文系かなとも思うのですが、鏡に映る素顔スッピン?は弥生系とも思え、どちらでもあり、どちらでもない、どっちつかずのなんとも中途半端(ちゅうとはんぱ)です。もっとも顔だけではなく、あらゆることが中途半端ではありますが……。
「弥生時代」という名称は、明治17年東京市本郷向ヶ丘弥生町(現在の文京区弥生)の貝塚で発見された土器が、その地名から弥生式土器と呼ばれたことに由来するのだそうです。文京区に住んでいたころ、そのあたりは弥生美術館もあり、よくブラついたところでした。
かつて日本人は土地に根ざし、土地を拠(よりどころ)にして生き、食べ物を育み営み、その時の流れが途切れることなくゆるやかにつながっていることを、改めて想わせてくれた登呂遺跡でした。

2016.4.28

あたりの緑が日に日に鮮やかさと濃淡と量感を増し、伸びやかで心ときめくはずのこの季節ですが、熊本地方で強い地震が発生し、余震も続いていて被害も拡大し、多くの人々が避難生活を強(し)いられていることが伝わるなか、折(おり)から第100回記念二科展の巡回展(4月5日〜17日)が熊本県立美術館で開催中でした。その美術館は天守閣の屋根瓦がすべり落ち、石垣が崩れたという熊本城のすぐ近くにあり、天井の一部が落下し、15、16、17日の3日間休館とせざるをえなくなったとの連絡をうけました。熊本の次の開催が福岡市美術館(4月19日〜24日)で、私は18日の展示指導、西日本新聞社賞の審査、前夜祭での祝辞、初日(19日)のギャラリートークなどで呼ばれていたため、ギリギリまで心配したのですが、18日の午後、福岡市美術館に入ったときには作品が各コーナーに陳列できる状態に置かれていました。これには熊本の仲間、関係者の方々がどれだけご苦労されたかが思われ、その中には、家が損壊(そんかい)し家族が避難所生活をしているにも関わらず、手伝ってくれた方もいたことを聞き、感謝するばかりでした。おかげで予定通り福岡二科展を開催することができました。
被災された方々の痛みを思うと辛く切ないのですが、これ以上被害が拡大しないことを祈り、念じるばかりです。そんな想いを引きずったまゝ、22日、新入生恒例のフレッシャーズ・レクリエーションに今年も同行しました。新入生420名、教職員27名が大型バス11台を連(つら)ねて、さがみ湖リゾートプレジャーフォレストで、ダッチオーブンによるピザ作りとプレイランドでのフリータイムを楽しむ、日帰りバスハイクでした。これは学生同士や担任とのコミュニケーションを図(はか)り、これからの学校生活をより良いものにするための行事です。
当日は、いまだかつてないほどの好天に恵まれ、寒すぎず暖かすぎずの、ほどよい心地よい、これぞ春。の陽気で、山合いでは昨年聞かれなかったウグイスが鳴き、常緑樹である照葉樹の艶(つや)のある葉と落葉樹のその木々の若々しい新緑が、それぞれその緑を競い合っていて、野にも山にも生気がよみがえっているかのようでした。そんな山合いでのピザ作りは、グループそれぞれ同じようで違うバラエティ豊かなトッピングで、そのピザがあたかも周りの緑と共演し、春を奏(かな)でているかのようでした。私は職員のグループで、ささやかですが、それなりに少し手伝いました。焼きたてはさすがにおいしく、何種類もたのしませてもらいました。
私は日常生活においては、このピザなるものを食する機会や出会いがなく、というより皆無(かいむ)に等(ひと)しく、ピザのピの字もうかばないのですが、この日このときだけ、1年に1度の私にとっては、俵万智の「サラダ記念日」ならぬ「ピザ記念日」です。食べたいと思うときもなく、この日がなければピザとは一生縁(えん)がないものと言っても過言(かごん)ではありません。
季節の春。のような学生たちから元気をもらい、その余韻(よいん)にひたりながら、帰りのバスでは熊本の地が思われ、その地に想いをめぐらせ、このところの喜怒哀楽(きどあいらく)が凝縮(ぎょうしゅく)されたような日々の1日でした。

2016.4.15

かつて4月の入学式は、満開の桜の下で行われるのが当たり前でしたが、温暖化により、桜の開花が早まり、3月に咲き終わってしまい、桜と入学式は、はるか遠い記憶の中の光景になってしまいましたが、ことしは、この4月に入ってすぐの週末まで、桜が咲き誇(ほこ)り、まだ花盛りの競演が見られ、ひさしぶりの桜舞う入学式のたよりが、各地から届きました。
本校も4月8日の朝、10時より、芽吹いたばかりの新緑の森にかこまれた明治神宮会館で入学式を行いました。前日は朝から雨が降る中、明治神宮の本殿で入学式の安全を祈願しました。午後からは風雨がかなり強まり、まさに花散らしの雨、風となってしまいましたが入学式の当日は、雨もあがり、あれだけの雨、風にさらされながら、まだ桜がしたたかに散り残っていて、そのサクラが健気(けなげ)に見え思えて、愛(いと)おしく、新入生の姿と重なりました。そんなおだやかな花曇(はなぐも)りの日、多くの新入生を迎え、式次第にそってとどこおりなく進行することができました。
壇上から新入生を眺めていると「桜梅桃李(おうばいとうり)」という好きな言葉が浮かんできました。李(り)は「すもも」のことですが、この四つの花は植物学的には同じバラ科の似ているけど違う春の花です。これは、桜は梅にはなれない、なる必要もない。桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李、それぞれその個性、特性を生かして独自の花を咲かせていて、それがいい、という意味ですが、金子みすゞの詩にも「みんなちがって みんないい───。」があります。新入生も一人ひとりちがうかけがえのない、それぞれの花を咲かせて欲しいと思います。
春は草木の芽が「張(は)る」または「発(は)る」からともいわれ、新しいものが生まれ、始まる季節です。新入生は春先に萌(も)え出る若葉で、色で言えば萌黄色(もえぎいろ)でしょうか。これは平安時代から用いられている日本の伝統ある色名で黄緑色のことですが、草木の若い芽が萌え出(い)ずる「萌木」とも表記するようです。萌えといえば、アキバ(秋葉)系の萌えキャラとかの萌えはコスプレやアニメ、ぬいぐるみなどに抱く好意的な感情を言うのだそうです。アキバにはユーキャン流行語大賞「萌え」を受賞したユニットを輩出したメイドカフェに代表される、ご主人さま、お帰りなさいませ。と迎えてくれるメイド喫茶、メイドカフェなるところがあるそうですが、まだ行ったことがありません。まだ、ということはいずれチャンス?があれば行ってみたいということですが、私にはこのメイドが冥土(めいど)に聞こえ、冥土(メイド)喫茶、冥土(メイド)カフェなら、冥土の土産(みやげ)に行ってみようか、と思いつゝ、まだ早いとの思いもあり、心がゆれています。

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