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今村昭秀学校長のコラム

今村昭秀学校長のコラム 2018年度

今村昭秀学校長イラスト

(イラスト:マンガ科 小日向一葉)
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2018年度

2018.5.15(New!)

みかんの花の香りが、あたり一面(いちめん)に漂う5月の湯河原は、まさに風薫(かぜかお)る季節です。そんな風に誘われてゴールデンウィークの半(なか)ば、伊東市の伊豆高原に出かけました。迎えてくれたのは、新緑から深緑(ふかみどり)になった草木の青葉をさわやかに吹き抜け、私の美肌、柔肌(やわはだ)??をこゝちよく撫(な)でてくれた、緑風とか薫風(くんぷう)とか呼ばれる初夏の風でした。広く歌い継がれ、日本を代表する童謡となった「みかんの花咲く丘」は終戦間もない昭和21年、伊豆・伊東市の小学校で、当時12歳の人気童謡歌手だった川田正子が歌い、NHKラジオで全国に中継放送され、その風景が浮かんでくるような明るい歌声が反響(はんきょう)を呼び、レコード化され、それが空前の大ヒットしたのだそうです。ちなみに伊東駅では、この「みかんの花咲く丘」が発車メロディーとして流れています。
伊豆高原は5月の1ヶ月間、毎年開かれているという「伊豆高原アートフェスティバル」をゆっくり散策(さんさく)しながら回ることが目的でした。今年で26回目になるというその案内チラシなどが駅にもホテルにもなく、まさか中止に、と思いつゝさがしたところ、「五月祭」と名が変わっていました。30年ほど前に伊豆高原に移住した美術作家の谷川晃一、宮迫千鶴夫妻が提唱(ていしょう)し、谷川さんが実行委員長になって始まったことは知っていて、関心がありました。それは私も出品した1963年の最後になった読売アンデパンダン展に、谷川さんも出品していて、その常連出品者であった赤瀬川原平さんとも交友があった、懐かしい作家名だったからでした。
谷川さん夫妻はともに絵画、版画、オブジェ、陶芸、絵本制作、アートディレクション、美術批評、エッセイなどその活動は広く、谷川さんは文明批評的な視点のシャープでミステリアスな作風が変わり、自分の暮らしを「再自然化しながらよりナチュラルに深くシンプルに生きること」とし、「毒曜日のギャラリー」なる単行本のタイトルも「草色のギャラリー」など変化しています。宮迫さんの画文集も「緑の午後」があり、自然が絵のイメージをどんどん与えてくれるのです。と言っていました。そんなご夫妻が考えた「アートフェスティバル」は、観光化はしないでギャラリーやアトリエだけでなく、カフェや一般の人の自宅や別荘の玄関、居間、庭先や売り場などさまざまな場所で、プロもアマも誰でも「わたくし美術館」に参加でき、暮らしと自然の中にアートをみつけよう。というものでしたが「五月祭」は実行委員長に谷川さんの名はなく、観光化せざるをえなくなった感が伝わってきました。
大室山を背にしたホテルからの眺めは、見わたすかぎりの緑のグラデーションが広がり、その先の相模灘(さがみなだ)には、大島、利島、新島、神津島などの伊豆諸島の島影がうっすらと望(のぞ)め、「伊豆諸島特産品デザインプロジェクト」が思い浮かびました。本校の学生が9年ほど前から「東京都島しょ振興公社」から依頼され、名産品のパッケージデザインを毎年提案しているものです。昨年は八丈島の特産「黄八丈サブレ」。現在進行中のものに「三宅島粉末あしたば」があります。今月末には毎年行われている、愛らんどフェア「島じまん2018」が竹芝桟橋で始まり、開会式の出席への案内をいただいています。会場では本校の学生がデザインした特産品も売られることになっています。
伊豆高原では、よりどりみどりのアートフェスめぐりのつもりでしたが、「五月祭」は東大の学園祭が連想され、高揚(こうよう)していた気持がなんとなく萎(な)えてしまいました。そういえば、一高生(東大)が淡い恋心を抱(いだ)いた名作「伊豆の踊子」の踊り子は、伊豆大島から来ていたのだった。などと想いながら、東大には何の罪(つみ)もありませんが、「五月祭」になったのは、とうだいもとくらし(灯台下暗し)に思えてなりませんでした。

2018.4.28

おだやかで清々(すがすが)しい初夏ともいえそうな、心地(こゝち)よい暖かさの原宿を、4月20日の朝9時、新入生421名、学担、職員と私も同行、合わせて452名が大型バス10台を連(つら)ねて相模湖プレジャーフォレストへ向かいました。これは、まだ学校生活に慣れないオリエンテーション期間にデーキャンプをして、クラスメイト・先生とのコミュニケーションをはかることを目的とした年中行事です。
かつてはカレーライスやパン作りなどをやっていたのですが、こゝ数年は「ダッチオーブンでピザ作りとコーンスープ&サラダ」になっています。各学科ごとに持ち寄った食材をトッピングして、バラエティー豊かなピザを焼き上げ、にぎやかに頬張(ほおば)る、青春を丸かじりにしているかの姿や、食事の後、プレイランドで遊ぶその躍動感あふれ、青春を謳歌(おうか)している新入生たちを見ていると、あたかもその青春をおすそ分(わ)け、山分(やまわ)けしてもらっているかの気分になりました。
四方(しほう)を山に囲まれたデーキャンプ場は、見わたすかぎりの新緑が春風にゆれ、透明感がある春の陽(ひ)にきらめき映(は)え、身も心も緑に染(そ)まるかのようでした。そんな新緑の木々の間(あいだ)に濃(こ)い緑の杉の木がまとまってあり、花粉が舞っているのではないか、と気になったのですが、どうやらすでに花粉は飛び散ったあとで、ほっとしました。これからは桧(ひのき)の花粉が舞うのだそうです。
この数日前、多くの新留学生を迎え、留学生懇親会を開きました。私はアイサツで、留学中はできるだけ日本の友人をつくり、日本の文化に触(ふ)れるように、などと話をしていたのですが、留学生の中に3人ほどマスクをしているのが目にとまり、思わず花粉症ですか。と聞いたところ、そうではない、と手をふられ、とっさに花粉症は日本特有のものです。日本を代表する固有種の杉の花粉が主(おも)な原因です。日本をより理解し、深く知るためには花粉症になることです。花粉症は日本固有の文化です、来週行く相模湖の周辺の山には杉の木も多く、花粉症になるチャンスです。などと言ってしまいました。なんということを、ですが話の流れでついうっかりでした。日本人の3人に1人は花粉症だといわれ、国民病ともいえ、あながち間違ってはいないとは思いますが、なにしろ気が小さいものですから、本当に花粉症になったらまずいとの思いで、このところびくびくしているのですが、幸いまだそういった話はとどいていません。
花粉症の原因であることから杉の木は、いまや嫌(きら)われものですが、先人(せんじん)の方々が杉の木を植林してくれたおかげで戦後の復興期(ふっこうき)の住宅建築に大いに役立ったことを忘れてはならないと思います。その存在感、力強さなどから森の君主(くんしゅ)ともいわれ、その花言葉は「雄大」で、他に「君のために生きる」があるそうです。
留学生に花粉症になるように勧(すす)めた以上、当然のことですが、私も花粉症にならなければ、との思いですが、症状は花粉症に似ていますが微妙(びみょう)にちがい、どうもこれは加齢症(かれいしょう)のようです。

2018.4.14

ボタン桜とも呼ばれる八重桜(やえざくら)は、いまを盛りと咲いていますが、ソメイヨシノなど一重咲(ひとえざ)きの桜の花は散り、そこはかとない、とりとめのない不思議な愁(うれ)いを感じる、そんな想いを表した言葉に「花過(はなす)ぎ」があります。花過ぎ、のようだった校内も新学期が始まり、あたかも鳥がさえずり、花々が咲き乱れる、春の美しい景色を形容するときに用(もち)いる「柳は緑 花は紅(くれない)」のまさに春爛漫(はるらんまん)になっています。
この時期の芽吹きの美しさは格別(かくべつ)です。芽吹いたばかりの萌黄色(もえぎいろ)の新緑の若葉が、春の光にかがやいている、神宮の森にかこまれた明治神宮会館で、4月9日朝10時より入学式を行いました。この萌黄色は、春先に萌え出る若葉の黄緑色のことですが、新緑の若緑が若さを象徴(しょうちょう)するとして、平安時代に若者向けの色として愛されたという伝統色です。新しい芽吹きの萌黄色の若葉がすぐに濃(こ)くなって、青葉になるであろうことを思い、新しい人生のスタートである入学式で、初々(ういうい)しい新入生と萌黄色が重なって見えてしまいました。 浅い緑色が濃くなると、「青葉」とか「青もみじ」とか、「青柳(あおやぎ)」や、緑色なのに青野菜、青物などといゝますが、昔は色の幅(はば)が広く緑色も含(ふく)めて青といったからだそうです。いまでも緑色の信号を青信号というのもその名残(なご)りのようです。春の青はやわらかく若々しい緑のイメージであり、「青春」は、こゝから生まれた言葉で、夢と希望に満ちあふれ、活力のみなぎるこの時期を、人生の春にたとえたわけですが、入学式の会場はその「青春」が充満(じゅうまん)していました。まったく、縁(えん)もゆかりもない「赤の他人」の人たちが初めて顔を合わせた青春の入学式ですが、「青の他人」とは言わないのは、この「赤」には何もない。という意味や「赤はだか」「まっ赤なうそ」「赤っ恥」など強調する意味があり、赤は明(あか)いからきていて「明らかな他人」「明らかなうそ」の、その意味を強調するため「赤」という視覚的効果を加(くわ)えて、赤という字が当てられたようです。
「赤信号みんなで渡れば怖(こわ)くない」は、1980年ごろの漫才ブームでツービートのビートたけしが、日本人の群集心理をついたネタで言ったのが流行語になりました。このころの私は、色彩の授業で、赤、黄、青の信号の色はどうしてこの色になったのか。どこから始まったのか。という説明で、発祥(はっしょう)の地は大阪で、アホウ(青)気ぃ(黄)つけんとアカン(赤)がな。といっていたことからきている。と伝(つた)えたら、熱心にメモをとっている学生がかなりいて、あわてました。もちろん、これは「まっ赤なうそ」です。ジョークと普段の表情があまり変わらないことから、わりあい信用されてしまう。という欠点があります。もう手遅(ておく)れですが、赤の他人にも誤解(ごかい)されないように、表情を豊かにする顔面(がんめん)の筋(きん)トレをしなくては、と思っているところです。

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