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今村昭秀学校長のコラム

今村昭秀学校長のコラム 2017年度

今村昭秀学校長イラスト

(イラスト:マンガ科 小日向一葉)
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2017年度

2017.11.16(New!)

ほんのりと色づきはじめた里山の落葉樹は、その木々の種類がわかるほどになり、常緑樹の合間(あいま)の彩りは、鮮やかな紅葉に染まるのはもうすぐですと、教えてくれているかのようです。原宿駅竹下口から1号館への道沿いのイチョウ並木も黄色く色づきはじめ、深まる秋。を感じます。
ふたりとは独りと独り秋深し。という句が目に入りました。どんなに仲が良くても互(たが)いに独(ひと)りである。当然のことですが、秋という季節はそんな、なにげない日常の光景や風景もなにかしらを想わせる季節でもあります。<春はあけぼの…>と春は明け方がいゝとした同じ枕草子(まくらのそうし)で清少納言(せいしょうなごん)は<秋は夕暮れ 夕日のさして 山の端(は)いと近うなりたるに…>。秋は夕暮れが一番いゝと記(しる)しています。そこには、しみじみとした、哀愁(あいしゅう)とか憂愁(ゆうしゅう)とかいうさみしさの情感が伝わってきます。秋は季節の夕暮れのようです。そんな秋は誰でも詩人になれる、なる季節とも言われます。
秋の夜長は思索(しさく)にふけったり、読書に向いていることから、読書の秋。ともいわれ、文化の日を中心にした2週間を「読書週間」としていて、2017年のキャッチフレーズは「本に恋する季節です!」とあります。この読書週間は、大正時代に図書週間としてはじまり、のちに「図書祭」とされ、終戦まもない1947年(昭和22年)に読書の力によって平和な文化国家をつくろう。と読書週間にしたのだそうです。
本という樹。図書館という森。というタイトルのイベント案内が日比谷図書文化会館からとどきました。図書館や書店は本の森ともいえ、目的なく本屋に入り多くの本の中をめぐるのは、日常とは異なる時間に身をひたし、さ迷うことで本の森の中を森林浴をしながら、小さな旅をしているかのようです。
森と旅といえば、神田神保町の古書店街は、街そのものが本の森といえ、歴史、文学、芸術、サブカルチャーなど専門別に分かれている迷路のような古書店めぐりは、新たな発見や知識に出会える旅でもあります。神保町は古本だけではなく、老舗(しにせ)の画材店文房堂。カフェレストランもある三省堂書店。映画の岩波ホール。喫茶店さぼうる。ほど近い駿河台には、文土に愛されたアールデコ調で心地よい空間のクラシカルな、山の上ホテル。などもあり、折にふれて通っています。
木(き)と樹(き)の違い、森(もり)と杜(もり)の違いが木(気)になります。森は自然の森をいゝ、杜は神社などの神域などや、人間が育てた樹木の多くある場所をいうそうです。そういえば、神宮の杜。杜の都仙台。とかいゝます。木と樹は同じ意味ですが、樹は大地に根を張って生きている立木のことで、木はそれを切ったものだそうですが、木はどちらにも総称として使うようです。本は木に一を足して本ですが、これは木の根っこから本(もと)を意味するようになり、根本(こんぽん)や基本(きほん)をいう意味が転じて書物(本)を指すようになったのだそうです。それにつけても、樹木希林(きききりん)という芸名には深堀(ふかぼ)りしたくなります。
手軽で便利なスマホやパソコンにより知りたい情報が瞬時(しゅんじ)に見られ、本も電子書籍で読むことができる環境にあり、書物はもう時代遅れの刻印(こくいん)を押されているかのようですが、インターネットによるバーチャル空間は色々と問題もあります。だからこそ読書、書物の意義(いぎ)は増しているのではないでしょうか。とはいえ私は集中力が続かず、本を読みはじめるとすぐ睡魔(すいま)におそわれ、そのまゝ冬眠(とうみん)してしまうのではないか、との不安と恐怖(きょうふ)で、おちおち読書もできません。

2017.10.31

まだ秋色に染まるのは少し早い、山と海と川と温泉の湯河原に新たなスポットが生まれ、この秋、その風景に奥行を与えてくれています。それは整備された駅前広場の駅への出入口であり、町への玄関口でもある通路にかゝる大屋根で、温もりを感じる本物の木をふんだんに使っていて、おだやかな明るい光がさしこんで、その先にある駅舎の上の里山につながるかのように、周囲との一体感を醸(かも)し出しています。低予算であったであろうそのデザインは、鉄筋コンクリート造りの現代的なものではないため、安っぽいなどとの声もあるようですが、だからこそ、静かで落ちついた地味な湯河原にふさわしく、身(み)の丈(たけ)に合っていて私は好きです。
設計はオリンピックが行われる「新国立競技場」のデザインを手がけた隈研吾(くまけんご)氏で、完成式には隈さん本人も出席され、湯河原にふさわしいものに、とその意図を説明されましたが、それは新国立競技場のコンセプトをコンパクトにしたものだと理解しました。その競技場は国産スギを多く使い、木と緑の「杜(もり)のスタジアム」として木材と鉄骨を組み合わせた、大きな屋根が架(か)かるものですが、そこに使われる木材が日本らしさを生み出していて、それが神宮外苑の森などと周囲の調和を図って、圧迫感を減らし、ハードよりソフト、自己主張より憩いの場、主張しない建築というものですが、お互いに仲良く協調、調和していくことが大事だ、という意味の言葉に「和(わ)を以(も)って貴(とうと)しとなす。」があります。これぞ和風建築の精神であり、隈さんのデザインにもそれを感じます。隈さんはポストモダンの建築家としてデビューしたのですが、バブル経済が崩壊(ほうかい)したあと、1990年代の半(なか)ばから20年以上にわたって現代における日本的な空間、木材を使うことにより周囲に威圧感を与えない建築を追求していて、新国立競技場のデザインもそれを連想させてくれます。森林は日本の持つ数少ない自然資源ですから、「木の文化」を見直したいものです。
樹木などが発散する香りは、エッセンシャルオイルやフィトンチッドが含まれていて、森林浴はこれを浴びることで心身共に癒(いや)しや安らぎを得られることで知られていますが、都市の和の空間、木造建築は都市の森林としての役割も担(にな)うことができるのではないか、とも思います。
世界が注目するオリンピック会場の新国立競技場も「和」の空間で、都市で暮らす人々も森林の恵みに改めて想いをめぐらせて欲しいものです。
隈研吾という日本を代表する建築家に対して失礼極(しつれいきわ)まりないのですが、隈(くま)さんの木をふんだんに使うデザインは、もしかして、小さいころ童謡の「森のくまさん」の「あるひ もりのなか くまさんにであった」で始まる歌をはやしたてられたりして、それが刷(す)り込まれているのではないか。などと勝手に想像してしまうのですが、大家(たいか)に対してなんということを、です。すみません。

2017.10.16

この時期になると本校1号館前の宮廷ホームの庭にあるキンモクセイの香りが漂い、原宿駅から本校に近づくにつれ香りが強くなり、その甘い芳香(ほうこう)は秋の訪れを感じる季節の香りですが、まだ今年はその香りが漂っていません。気がつかなかったのか、開花が遅れているのか、と思いつゝ「原宿祭」を迎えました。
何かの香りが漂ってきたときに、ふいに記憶がよみがえるなど、ある特定の匂いを嗅(か)いで記憶が呼び起こされる現象を「プルースト効果」というそうですが、これはフランスの文豪マルセル・プルーストの長編小説「失われた時を求めて」にちなんで名づけられたのだそうです。私にとってこのキンモクセイの香りの記憶というイメージは学園祭である原宿祭とつながります。その原宿祭を10月6日〜8日までの3日間、1号館と2号館で開催しました。授業内外で制作した作品の展示やワークショップ。学生たちが主体的に企画運営する多彩なプログラムは、学生全員が参加するインスタレーション展示や大喜利SHOW展、ドレスアップコンテスト、アートデザインフリーマーケット、スタンプラリーなどなどでした。3日目の午前、地下ホールで恒例の竹下通り入口のシンボルである、アーチ上部のパノラマビジョンで放映される「2017HARAJUKU竹下通りアートフェス」の公開審査があり、私も竹下通り商店会の役員の方々と審査に加わりました。テーマは「モーション・動き・躍動感」で50点ほどの作品が寄せられ、楽しく見させてもらいました。最終日の夜はOB・OG会があり、卒業以来の再会となった卒業生も何人か参加してくれ、懐かしい話に花が咲きました。
原宿祭で見られた意欲的なエネルギーあふれる学生たちの成果は、原宿の秋の実りであり秋の収穫であり、とすれば、本校の原宿祭は道の駅ならぬ「街の駅」での収穫祭でもあります。
秋の実り、収穫といえば、通勤の朝、新幹線の車窓からの眺めは、豊かに実った稲穂が波うち黄金色(こがねいろ)に映えていて、まさに収穫の秋である日本の原風景ともいえる稲田(いなだ)がつづいています。稲田といえば、稲田朋美元防衛相が思い浮かんでしまいます。そういえば民進党元代表の蓮舫氏、都知事であり、希望の党代表でもある小池百合子氏、お騒(さわ)がせ議員(当時)の山尾志桜里氏は偶然とはいえ、それぞれの氏名に植物の名が含まれています。私が一番気になるのは、あのハゲー、ハゲーと連呼(れんこ)する音声が流れると不愉快でしたが、だんだんくやしくもハゲまされているかのようになってしまった、もうひとりのお騒がせ議員である豊田真由子氏です。キンモクセイの香りはイライラを軽減して心を落ち着かせ、人を優しくする効果があるそうです。キンモクセイのアロマや香水は数多くあるそうですから、国会議員(当時)の豊田真由子先生には僭越(せんえつ)ですが、キンモクセイの香りを嗅(か)ぐことをお勧(すゝ)めします。豊田真由子の真由(まゆ)は耳では繭(まゆ)とも聞こえ、繭になるカイコは桑の葉を食べて育ちますから、少しムリがありますが、拡大解釈(かくだいかいしゃく)すれば植物の名前です。だからそれがどうした。といわれゝば、ただ、ただそれだけのことです。他意(たい)はありません。

2017.9.30

ついこの間までは秋がきているような、いないような気配(けはい)でしたが、いつの間にか静かに秋が忍(しの)びよってきているかのように、花水木などの実も日に日に赤みを増し、さまざまな虫が鳴きはじめ、それぞれに音色(ねいろ)を奏(かな)で、いよいよ秋めいてきた感があります。なんとはなしに哀(かな)しい、さびしい秋の心を哀愁(あいしゅう)と書きますが、秋ならではの、はかなさが伝わってきます。 これらの虫の音(ね)は羽を擦(す)り合わせてその音を共鳴(きょうめい)させて出しているのですが、その美しさに日本人は平安の頃から「虫の音」「虫鳴く」「虫の声」などと虫を愛(いと)おしみ、愛(め)でてきていて、その感性はクールジャパンなどといわれる表現にも潜(ひそ)んでいるのではないでしょうか。
実りの秋。は、日本人の主食である米が秋に収穫(しゅうかく)されることからいわれているのですが、「秋」の語源も稲が熟(あか)らむからという説もあるようです。
夏から秋へ、モモ、ブドウ、ナシ、カキ、リンゴ、クリ、ミカンなどの果実も熟(う)れてゆく、実りの秋、でもあります。観たいと思っていた「人生フルーツ」というタイトルの、ドキュメンタリー映画の案内チラシが送られてきていたのを思い出しました。そこには、人生はだんだん美しくなる。というキャッチコピーがあり、<風が吹けば、枯葉が落ちる。枯葉が落ちれば土が肥(こ)える。土が肥えれば、果実が実る。こつこつ、ゆっくり。人生、フルーツ。>とあります。これは、90才と87才の夫婦の物語だそうですが、かつて日本住宅公団の建築家であった夫(おっと)は、団地などの都市計画に携(たずさ)わってきて、1960年代、風の通り道である雑木林を残し、自然と共生するニュータウンを目指し計画したけれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地となってしまったのだそうです。そんな仕事から距離をおき、自(みずか)ら手がけたニュータウンに土地を買い、丸太小屋を建て雑木林を育て、70種類の野菜と50種類ほどの果実を収穫することができるようになった、その50年間にわたる暮らしぶりは、深い思索(しさく)の旅であり、人生の果実が実っている本当の意味での豊かさ、と言えるのではないでしょうか。世界遺産に登録された国立西洋美術館を設計した、モダニズムの巨匠ル・コルビュジェの言葉に「家は暮らしの宝石箱でなくてはいけない。」があります。誰にでもそんな生き方ができるわけではありませんが、その精神性は日々の生活に活(い)かしていきたいとの思いです。
ひるがえって私は自らの暮らしを思えば、宝石箱などとはとてもいえない、どちらかといえばゴミ屋敷に近い、一般的な意味での日常的な暮らしがないガラクタ箱の生活です。だからこそ「人生フルーツ」のような生活に憧(あこが)れ、心惹(ひ)かれるのかも知れません。ガラクタを漢字で書くと、なんと我(われ)楽(たのしみ)多(おおい)、我楽多。となります。「人生ガラクタ」も捨てたものではありません。

2017.9.15

9月に入り晩夏から初秋の雰囲気が漂い始めていますが、学生たちが戻った夏休み明けの校内は、まだにぎやかな夏のエネルギーがあふれています。少々暑くても夏はもう終わり、という夏の別れ、夏を追う、夏の果(はて)などという感傷にひたって、くる秋を待つ思いがつよいのですが、学生たちにとって夏の思い出は、多く強く、その心情は青春の憧(あこが)れと悔恨(かいこん)などが織(お)りまざっているのではないでしょうか。
そんな、ゆく夏を惜(お)しむかのように夏休み最後の土曜日、日曜日の原宿表参道は、街の許容量(きょようりょう)をはるかに超えたかの人と人の波がおしよせる中、明治神宮奉納祭として原宿表参道エリアで開催される首都圏最大級の「原宿表参道元氣祭スーパーよさこい2017」が開催され、今年も審査員をたのまれたのですが、日曜日は本校のオープンキャンパスがあるため、土曜日のみ担当しました。10時開催を前にそれに備(そな)えるべく全国から集まった連(れん)と呼ぶ各チームが、朝早くから代々木公園で打合せや練習をしていて、その色とりどりの衣装が秋の草花が咲き満ちる野原のことをいう、花野(はなの)のようでした。明治神宮奉納の踊りですから、本殿前で踊りを奉納し、鳥居近くの特設ステージでも行われましたが、審査員席は街路樹のケヤキの影の長さに、くる秋を感じる表参道でした。
昨年、よさこいの本場高知に行ったとき、「よさこい情報館」に案内していただいて、よさこいにより強く興味や関心がわき、審査する眼も広く深くなりました。本場高知の伝統を守りつつ、新しさを表現するというところを審査のポイントにしました。地元原宿からもいくつかのチームが出ていましたが、本校の学生が衣装のデザインをしたことがある「原宿表参道元気連」や、きゃりーぱみゅぱみゅが所属するアソビシステム(株)も出ていて、他のチームとはかなり異(こと)なる感があるアイドル風の衣装と踊りで、ある意味、原宿表参道に溶(と)け込んでいました。このアソビシステムさんは地元というご縁で、きゃりーぱみゅぱみゅの美術演出などを担当しているKAWAIIの伝道師ともいわれるアーティストの増田セバスチャン氏を紹介していただいて、昨年本校で特別授業をしていただいたことなど思い出しながら、全国各地から約100チーム、踊り手5500名が次から次へとくりひろげる熱気あふれるよさこい踊りを目の前で見ることができ、元気をもらい夏の疲れも軽くなりました。
アイドルといえば「美術の秋」恒例の二科展が始まり、デザイン部に「乃木坂46」の若月佑美さんと「欅坂46」の佐藤詩織さんのW入選が話題になりました。若月さんは6年連続入選、佐藤さんは初入選で奨励賞を受賞し、2人そろっての取材に私も立合い、講評をたのまれたのですが、そのほとんどはカットされていました。もちろん本校の在校生、卒業生も入選、受賞しているのですが、メディアの話題はこの2人でした。このアイドルを前にしてなぜかドキドキ、ワクワクしてしまい、あっ、このトキメキは忘れていた青春の心がよみがえったか、とひそかによろこんだのですが、先日行った人間ドックの結果報告に、不整脈あり、要注意。とありました。

2017.8.30

梅雨(つゆ)のような長雨が続きましたが、8月も下旬になって夏の日差しが戻り、これは返り夏、戻り夏、忘れ夏、とでもいうのでしょうか。夏の盛りを謳歌(おうか)していたかの花々やセミの声も心なしか弱まって、夏の終わりの気配(けはい)があちこちで感じられます。
夏の終わりを石垣島では、白い夏と書いて「白夏(すさなつ)」というそうですが、なんとなくわかるような気がします。夏は緑風とか涼風とか「風」に想いが誘われます。夏の終わりのいまごろ想い浮かぶのは、井上陽水が歌う「少年時代」の歌詞にある「風あざみ」という言葉です。<夏が過ぎ風あざみ 誰のあこがれにさまよう 青空に残された私の心は夏模様>。「風あざみ」という薊(あざみ)があるわけではなく、造語のようです。以前このコラムで「忘れ花」のことではないか。と書いたことがありますが、アザミの花の先端にある綿毛が、過ぎゆく夏の風に舞っている情景ではないか。と思うようになりました。やさしい表現ですがイマジネーションをかきたてられる言葉です。
アザミも種類が多く、早春から咲くキツネアザミも含めて総称としてアザミといゝ、一般的には夏に咲く「野アザミ」をアザミと呼んでいるようです。その多くは紅紫色の花ですが、20代のころ友人たちと白樺湖畔でキャンプをしたとき、近くの車山の草原で白い花のアザミを見つけたことがあります。この白いアザミは白花薊と呼ぶようですが、突然変異で白くなるのだそうです。アザミは食べられる野草でもあり、その若葉は味噌汁の具にしたり、新芽や根は天ぷらにしたりします。土産物(みやげもの)として売られている「山ごぼう」はこのアザミの根だそうです。
そういえば東急田園都市線に「あざみ野駅」があり、地名にも「横浜市青葉区あざみ野」があります。1970年代に新興住宅地として開発が進んで、1977年に「あざみ野駅」ができたのだそうですが、この地名からアザミが咲いていた野原だったことが想像されます。それより10年ほど前に開業されたのが隣の「たまプラーザ駅」で、1980年代の初めごろ、この駅の周辺が舞台となったテレビの人気ドラマに「金曜日の妻たち」や「私鉄沿線97分署」などがあります。そのころ、その「たまプラーザ駅」前に開業した「たまプラーザ東急百貨店」で、開業8周年記念特別企画として「フランス芸術家協会“ル・サロン”日仏会員展」があり、出展したことなどが思い出されます。
夏の風物詩のように訪れる痛風(つうふう)が、夏の終わりに、やっと律儀(りちぎ)に健気(けなげ)にもやってきてくれました。くればきたでその痛さにこれを最後にして欲しいと思い、こなければこないでさびしく、どうしているのだろう、などと痛風に想いをつのらせてしまいます。私にとって夏の風は痛風です。アザミもトゲが多く、触(ふ)れると痛い草の代表的なものですが、アザミの名はアサム(傷つける)という意味からきているようです。痛風もトゲが刺(さ)さるような激しい痛みですが、あえてその天罰(てんばつ)のような痛みに耐(た)えて、その先に過ぎゆく夏の終わり、悟(さと)りを開き、風通しをよくして新風を吹かせるべく、痛風(つうふう)を通風(つうふう)にしたいとの思いでいます。

2017.8.16

朝、セミ時雨(しぐれ)が降り注ぐ中、駅へと向かい、しばし電車を待つ間もそれが途切(とぎ)れず、そこから見える里山の緑は、より濃さを増し夏の陽に映え、まるで水が滴(したた)りそうなほどに樹木が緑におゝわれ、みずみずしく美しいという夏山の様子(ようす)を表した季語の「山滴る」風景です。
8月11日が「山の日」に定められ、祝日となりました。山の名前はわかりやすいのが多いのですが、全国には地元の人にしかわからないような珍しい名や、読みがむずかしい名があります。一尺八寸山(みおうやま)。月出山岳(かんとうだけ)。梅花皮岳(かいらぎだけ)。本富岳(もっちょむだけ)。設計山(もっけやま)。万年山(はねやま)。父不見山(ててみえずやま)。皇海山(すかいさん)。大根下山(だいこんおろしやま)。爺爺岳、これは(ジジイだけ)と思ったらまさかの(ちゃちゃだけ)でした。
「山の日」「海の日」は祝日ですが、「川の日」はなぜか祝日ではありません。が、やはり夏は涼(りょう)を感じる水辺に想いが誘われます。以前から行ってみたかった三島の隣の清水町を流れる柿田川の湧水群を見に行ってきました。富士山や箱根山の周辺に降った雪や雨が地下水となり、10年ほどかゝって湧き出るのだそうです。その水量の豊かさ透明感は「名水100選」に選ばれている、いかにも美味(おい)しそうな清流でした。その水辺にはクレソンが群生していて、それは柿田川自然保護の会が水質の研究用に栽培しているのだそうです。このクレソンは和名をオランダガラシといゝ、セリ科の帰化植物で、セリと同じようなところにあり西洋ゼリともいうそうです。クレソンはフランス語でフランスでは「健康草」といゝ、野菜の中でも健康に重要とされている栄養素の含有量(がんゆうりょう)が多く、栄養価が高い「スーパーフード」として知られているようです。ステーキやローストビーフの付合(つけあわ)せというイメージでしたが、今では炒(いた)めもの、和(あ)えものなど、さまざまな料理に利用されていてパクチーと似ていますが、このクレソンは好きです。日本へは明治のころ伝わったのだそうですが、今では全国各地の河川(かせん)の水辺で見られます。そのピリッとした辛(から)みはワサビと同じ「シニグリン」という成分だそうです。ワサビも清流の水辺で育ち全国各地にワサビ田はあり、名が知られているのは伊豆ですが、安曇野(あずみの)の農場と呼ばれる広大なワサビ田が想い出されます。豊かな清流に広がるワサビの葉の緑が爽やかな涼感を誘い、その空気に心と体が癒(いや)されました。
湧き水や清流の水辺で育てる「水ワサビ」、山あいの木陰や畑に日よけをして育てる「陸ワサビ」などの栽培ワサビと、山地や渓流で水しぶきがかゝる岩場沿いに育つ天然ワサビがあり、これを「山ワサビ」とか「沢(さわ)ワサビ」などというそうです。北海道では西洋ワサビを山ワサビと呼んでいるようです。
しっとりとしたみずみずしい、いい男を「水も滴るようないい男」と形容しますが、夏のいまごろ風物詩のように訪れる痛風がまだ発症していません。そろそろ来そうだと心の準備はしています。この痛風の原因のひとつが水分をあまりとらないことゝいわれます。そうです、私は「水も滴るようないい男」とは真逆(まぎゃく)の「水も垂(た)れない干物(ひもの)のようなさえない男」なのです。

2017.7.31

いつの間にかセミが鳴きはじめ、30℃を超える真夏日が続き、すでに盛夏のようでしたが、やっと梅雨(つゆ)が明けたとの発表がありました。 その雨が田畑を潤(うるお)し、穀物(こくもつ)の生長をうながしてくれる穀雨(こくう)とか、生きとし生けるものに降り注ぎ、いのちを与えるということから、万物生(ばんぶつしょう)という呼び名や、「雨は花の父母」という言葉もあるように、草花にとっては親の愛情のように身にしみる雨であり、恵みの雨であるはずが局地的な豪雨(ごうう)となり、万物のいのちを生かすべき雨が、命を失(な)くし、亡(な)くす災害をもたらしていて、心が痛みます。
梅雨の頃から咲き、ついこの間まで咲いていた半日陰(はんひかげ)を好む花にドクダミがあります。夏の花といえば夏の陽光を浴びて黄色い花が映(は)えるヒマワリがありますが、このいかにも夏の花らしい、陽性でポジティブなヒマワリに比べるとドクダミは、その名からも陰性でネガティブなイメージですが、群生して咲くその小さな白い花は、可憐(かれん)でひたむきさを感じます。このドクダミは毒があるのではなく、毒を抑(おさ)える効能(こうのう)があり、江戸時代から民間薬として利用されている薬草であることからその名になったようです。夏におこりがちな虫さされ、切り傷などさまざまな皮膚(ひふ)のトラブルに効き、化粧水にもするそうです。花言葉は「野生」でその花には似合いませんが、繁殖力(はんしょくりょく)の高さから由来するのだそうです。中国やベトナムでは、野菜や香草(こうそう)として食べられていることを留学生から聞いたことがあります。香草にしてはその独特な強い匂(にお)いは苦手(にがて)です。
このところブームになっている香草にパクチーがあります。このパクチーはかなり前にタイで初めて出会ったのですが、その青くさい匂いがダメで、その後日本でエスニック料理のブームがあり、そうした店で卒業生との飲会があり、パクチーの匂いに閉口(へいこう)したことなど思い出されます。
この味と香(かお)りにハマる人を「パクチスト」と呼ぶそうですが、私には香りではなく匂いを感じます。今や脇役であったパクチーが主役になっているかのブームのようです。
日本料理につかわれる、辛(から)みや香りを加えて味をひきたてる香味野菜や、薬味(やくみ)にセリ、ミツバ、ニラ、ネギ、ショウガ、シソ、ワサビ、ミョウガ、トウガラシ、コショウなどがありますが、これらは平気です。というより好きです。雑食系の私ですがパクチーだけはダメですムリです。防腐(ぼうふ)作用など薬と味が合わさって薬味というのだそうですが、日本のむし暑い夏はスパイスやハーブというより、すがすがしいさわやかな薬味が、暑さを和(やわ)らげてくれ暑気払いになります。
原宿駅から本校への道沿(みちぞ)いにドクダミの花が咲いているころのある日、1号館の教員控え室にドクダミの花が一輪(いちりん)コップに挿(さ)してありました。「生け雑草」という言葉を見たことがありますが、その小さな白い花がアクセントになっている空間には、さわやかで、すがすがしい、さゝやかな豊かさ、幸せ感が満(み)ち漂っていました。それはあたかも薬味のようでした。根暗(ねくら)な私は、ヒマワリの花よりこのドクダミの花が好きです。

2017.7.14

このところ空梅雨(からつゆ)のような日々ですが、梅雨(つゆ)の始めに雷(かみなり)があれば空梅雨。などといわれていて、そういえば雷が多かったような気がします。この梅雨のころ白い花を咲かせるクローバーを「雨降り花」とも呼ぶようですが、和名はシロツメクサで花の色によってムラサキツメクサ、モモイロツメクサ、アカツメクサなどというそうです。このツメクサは「詰(つ)め草」の意味で、江戸時代オランダから送られてくる荷物が破損(はそん)しないように、緩衝材(かんしょうざい)としてオランダの牧草(ぼくそう)である、クローバーの干草(ほしぐさ)が詰められていたことからその名がつき、そのとき種子(たね)も運ばれて日本各地に広がったのだそうです。(「ももいろクローバーZ(ぜっと)」という女性音楽グループがいますが、これが「ももいろツメクサZ」では語呂(ごろ)が悪すぎます。)
見つけると幸福が訪れるといわれる、四つ葉のクローバーは、三つ葉のクローバーの変異体(へんいたい)なのだそうです。この変わり葉は、五つ葉から数えて現在のギネス記録は、日本人が見つけた56枚葉だそうです。
クローバーのように密生(みっせい)する似た草花に、レンゲ草があります。今ではあまり見られなくなりましたが、私のガキのころは、どこの田んぼでも栽培(さいばい)されていて、4月〜6月ごろにかけて一面に咲くピンク色のレンゲ畑は、じゅうたんのようでした。その根に窒素(ちっそ)を貯(たくわ)えていることから、緑肥(りょくひ)となり、牛の飼料、雑草防止にもなったのだそうですが、その役割が化学肥料にかわってしまったのだそうです。レンゲの花はアカシアの花と共に、良い蜂蜜(はちみつ)になる代表的な蜜源(みつげん)植物なのだそうです。蜂蜜を採取(さいしゅ)する養蜂(ようほう)は紀元前から行われているそうですが、日本で巣箱を使ってミツバチを育てながら蜜をとる養蜂が始まったのは、江戸時代からで、北から南まで花を求めて移動する養蜂と、定置(ていち)養蜂があり、多くの花々が咲く春から夏にかけてが、ハチミツを採取する繁忙期(はんぼうき)ですが、定置の場合は花が少ない冬期は、砂糖水を餌(えさ)として与えるのだそうです。
<明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂は、世界を祝福する音符である。そして世界は、いつもなんという至上の音楽に満たされていたことだろう。>という表現がある「蜜蜂と遠雷(えんらい)」という小説が本屋大賞と直木賞とのダブル受賞で話題になりました。これは国際ピアノコンクールに挑(いど)んだ若きコンテスタントたちの姿を描いたものですが、その中に各地を転々としているため、自宅にピアノがない養蜂家の息子がいて、アカデミックな指導を受けていないその奔放(ほんぽう)な演奏が、審査員や聴衆(ちょうしゅう)を驚かせるというもので、その文章は、あたかも小説を聴き、音楽を読んでいるかのようでした。受賞後作者は<日本人の耳は虫の声や風やせせらぎなど通常ノイズ(雑音・騒音)として処理されるものを音楽として聴いているといわれ自然界の音からなにかしらの意味を読み取ってきたといわれ…。>とも書いています。物理学者で随筆家でもあった寺田寅彦が<自然を恋人(こいびと)にしなくてはならない。自然はやはりその恋人のみ真心を打ち明けるものである。>と記しているのを目にしました。もう恋人などという言葉とは無縁(むえん)だと思っていたのですが、そうか、自然を恋人にすれば、蜜蜂のように甘い蜜月(みつげつ)関係になれるのだ。と思うとミツバチの羽音(はおと)のように胸がざわつきます。それはまさにハニームーンです。

2017.6.30

鮮(あざ)やかな緑色を鮮緑色(せんりょくしょく)といゝますが、たわゝに実った梅の実が梅雨(つゆ)に濡(ぬ)れ、産毛(うぶげ)が光り、それはまさにその色合(いろあ)いそのものです。
梅の実の収穫期(しゅうかくき)であるこの時期は、梅酒を漬け込むときでもあり、かつては毎年のように梅酒を漬けていたのですが、だんだんストックが多くなり、どんより澱(よど)んでいる10〜20年ものがまだあり、こゝ10年ほどは漬けていません。「梅酒は熟成(じゅくせい)の歳月(さいげつ)を飲む」という表現を目にしました。その熟成された歳月を想うと捨てられません。透明な容器に入っている青梅とホワイトリカーの色が、琥珀色(こはくいろ)に変化していくその眺(なが)めは、青梅雨(あおつゆ)の初夏の気分が心に沁(し)みるようでした。
歳月といえば、昨年の本校創立50周年、校友会設立20周年記念パーティーでは、多くの卒業生の出席があり、卒業以来の再会にうれしく、ありがたく、豊かな時間を過ごすことができました。校友会報で50周年を知り、卒業以来会っていない卒業生から手紙が来たり、学校を訪れてくれたりと、いま、まだその幸せ感の余韻に生かされているような日々が続いています。その折(おり)発行された冊子(さっし)にあるTDA Historyによると、1966年渋谷区宇田川町に「東京デザインアカデミー」を創設とあり、その校舎は東京山手教会の地下で、開校当初は「建築」「ディスプレイ」「グラフィック」の3学科でスタートし、1969年、原宿に1号館が完成し移転した。とあります。教会の地下スペースでデッサンをしている授業風景が載(の)っていますが、教室の壁面が斜(なゝ)めになっているその特徴的な内観は、私の記憶の中にあるまさかのあの伝説のライブや演劇が上演された、文字通りのアンダーグラウンドだった「渋谷ジァン・ジァン」であったとは……。
1969年〜2000年まで存在したそこは、収容観客数200人ほどで内部は狭く、舞台の左右に客席があるという変則的なスタイルで、それがいかにもアングラ的でした。いま思えば幻(まぼろし)のようなそこに、若き日の寺山修司、浅川マキ、荒井由実(ユーミン)、井上陽水、忌野清志郎、矢沢永吉、美輪明宏、パントマイムのヨネヤマ・ママコ、一人芝居のイッセー尾形などなども出演していました。私もまだ若く、アングラ劇団のポスターをデザインしていたこともあり、よく通ったところでした。本校の講師になるなどとは夢にも思っていないころで、そんなアングラの聖地であったところと本校とのつながりを知り、驚くと共に感動すら覚(おぼ)えました。
近くには西武劇場を有(ゆう)する渋谷パルコがあり、この公園通りは当時の先端文化の発信地としての役割を担(にな)っていたともいえ、若者文化、流行の発信地である原宿にある本校と、あのジァン・ジァンが通底(つうてい)していたかのうれしいつながりを想い、あのころのエネルギー、精神性を少しでも回復し、本校の歩んできた内的に熟成された歳月に、外的な発酵(はっこう)を加えて、新たなステージに向け活(い)かしていくべく、静かなる闘志(とうし)を燃やしているところです。

2017.6.15

この6月は、梅雨入(つゆい)りの季節ですが、その雨に濡(ぬ)れ、いっそう緑が青みを増すことから、それを緑雨(りょくう)とか青雨(せいう)とか言うようです。そんな青葉が多い、代々木公園にある「国立オリンピック記念青少年総合センター」で、6月13日、恒例のスポーツ大会を行いました。
1964年の東京オリンピックでは、こゝが各国の代表選手が宿泊した選手村であったことから、開会式のアイサツで学生たちに、2020年の東京オリンピックへ想いを馳(は)せて、競技をするよう伝えました。スポーツ棟の体育館で、アジア諸国の留学生も交(ま)じる、若さあふれる各科対抗の熱戦を観ながら、なんとも不謹慎(ふきんしん)ですが、「ブラジャー」という言葉が浮かんでしまいました。それは、オリンピックと同じ4年ごとに開催される、アジア版オリンピックと言われる「アジア大会」の開会式で、実況中継をしたNHKのベテランアナウンサーが、ひときわ大きな声を張りあげて「さて、いよいよ日本選手団長以下全員、真紅(しんく)のブラジャーに身を包み、ああ、堂々の入場であります」と真紅のブレザーのことをブラジャーと言ってしまったという、本当にあった話を思い出したからでした。
ということで?本題の「牛のブラジャー」に戻(もど)します。私はしつこいので、牛のブラジャーなるものを扱(あつか)っている問屋(とんや)が日本橋にあると聞き、訪(たず)ねてみました。そこで改(あらた)めて出合った、牛のブラジャーなるものは、当然のことながら、なんの変哲(へんてつ)もない実用本位のもので、ベルト状の皮を大きく網のように組(く)んだものや、無地の布をハンモックのようにしたもので、商品名は「乳帯(にゅうたい)」とありました。牛のブラジャーは言いやすく、わかりやすいことからの通称(つうしょう)、俗称(ぞくしょう)でした。その目的は、ホルスタインのような乳牛の乳は大きいので、起き上がる時に自分の足で踏(ふ)んだり、移動するときキズや雑菌がついたりするのを防ぐため、その乳を支(ささ)えるものなのだそうです。
モノクロの地味な商品カタログに、それをつけた牛の写真が載(の)っていたのですが、そこにはデザイン性やオシャレ感など全(まった)くなく、これはあまりにもさみしく、牛がかわいそうに思え、もっとカラフルにカワイく、デザイン性豊かにしてあげたい。との思いが募(つの)り、デザイン画を20枚ほど描き、それを知人の女性デザイナーに示し、ミニチュアサンプルを作ってもらいました。そのとき、これはなんですか、と聞かれとっさにハンモックのデザインと、即答してしまいました。それは色とりどりの毛糸やビーズ、フリル、刺繍(ししゅう)などをあしらったものですが、予想以上に満足のいくものができました。
牛がわかるはずも、喜ぶはずもなく、牛にとってはいらぬお世話だとは思いますが、その出来映えに私の夢が大きく広がってしまいました。まずは個展で発表してアピール、その後、実物大のものを作り、それを牛に着用し、マザー牧場のようなところでの放牧風景をメディアに取材してもらい、それが話題となり、あわよくばその先は有名ファッションブランドと共に、パリコレで歴史上初のブラジャーをつけた生きた牛が、モデルとしてデビュー!!と、センセーションを巻き起こす。という妄想(もうそう)がどんどんふくらんでゆき、そんな思いで、池袋「西武」での個展「優雅な悪意 part②」で牛のブラジャーのミニチュアサンプルと、それを身につけた牛のイラストのパネルを展示したのですが、なぜか他の作品ほど話題にも評判にもならず、私の「想い描いた夢」は簡単に消え失(う)せてしまいました。
時代が早すぎたのでしょうか。今ならデジタルで合成して、それを動画で効果的にプレゼンできるとの思いがあり、いまこそ、とも思いますが、校長である今、牛のブラジャーのデザインを発表する勇気がありません。(しつこいわりには気が小さいのです)ちなみに、牛のブラジャーのサンプルは、ブラザーミシンで縫(ぬ)ってくれました。

2017.5.31

5月も半(なか)ばを過ぎ、真夏日もあるなど夏の気配が強くなりましたが、湯河原では、若草色、若葉色、深い緑色の間をわたってくる風が、ミカンの花の薫(かお)りを漂わせ、まさに5月の風である薫風(くんぷう)そのものです。
浅い緑、濃い緑が燃えたっている、見るもさわやかな初夏の山腹(やまはら)の草地では、牛が放牧され、新鮮な外気(がいき)と日光を浴び、草を自由に食(は)んでいる、牧歌的な風景がテレビの画面に映(うつ)り、そんな季節になった、との思いと「牛のブラジャー」なる言葉が甦(よみがえ)ってきました。校長たるものがそんな言葉をいかがなものか。ですが、この牛のブラジャーなるものを知ったのは、本校の講師になって間もない30年ほど前でした。当時住んでいた我孫子市で休日のある日、犬の散歩をして戻る途中、家の近くで隣の奥さんと近所の主婦数人が、なにやら立ち話をしていて、その脇(わき)を通った時、「ブラジャー」というのが聞こえ、それだけでも「ん?」ですが、その上に「牛の」がついて「牛のブラジャー」と聞こえ、一瞬(いっしゅん)聞き間違いではないか、と耳を疑(うたが)いました。これはもう素通(すどお)りするわけにはいきません、さりげなくごく自然を装(よそお)って、行きつ戻りつしながら聞き耳を立てゝいると、たしかに「牛のブラジャー」と聞こえ、しかも、ごく普通の会話のトーンで牛のブラジャーなる言葉があり、そんなものがあるなど聞いたこともなく、思いもよらず、その日は牛のブラジャーなる言葉が頭の中をかけめぐり、牛のブラジャーでいっぱいになり、夢うつつの放心状態になってしまい、うなされて安眠できず、悶々(もんもん)として夜を明かしました。
このままでは日常生活に支障(ししょう)をきたしてしまう、との思いから、意を決して、思いきって隣の奥さんに「牛のブラジャー」とは何(なん)ぞや、と聞いたところ、近所にその牛のブラジャーなるものを作っている作業場があり、そこでパートで働いていると、こちらが拍子抜(ひょうしぬ)けするほど淡々(たんたん)と単なる仕事です的に話してくれ、過剰(かじょう)に反応したことが恥ずかしくなりました。
私はしつこいので、後日そこを見学させてもらったのですが、そこでは近所の奥さんたちが布や皮を裁断し、ミシンで縫製(ほうせい)して牛のブラジャーなるものを作っていました。当時は牛のブラジャーなるものがあるなど聞いたことも見たこともなかったのですが、今、「牛のブラジャー」で検索すると、なんとヒットするではありませんか。つくづくと歳月(さいげつ)の流れを感じます。久し振りに牛のブラジャーなる言葉に胸の内が高揚(こうよう)してしまいました。次回も牛のブラジャーの続編とさせていただきます。すみません。なにしろ私は「しつこい」のです。

2017.5.15

新緑の香りをのせた春風が吹き抜け、初夏へと少しずつ移ろいはじめたゴールデンウィークと呼ばれる、初日の4月29日、本年度最初のオープンキャンパスイベントの体験入学があり、出校しました。その役割を終えて、新聞で紹介されていた、昭和館特別企画展「ポスターに描かれた昭和〜高橋春人の仕事」を見るため、九段にある昭和館へ向かいました。この日は祝日の「昭和の日」でもあり、戦中戦後の昭和という時代に多くの公共ポスターを手がけた高橋春人さんを偲(しの)びたい、との思いでもありました。高橋さんは私の2代前の二科会デザイン部代表を務められた大先輩で、私が20代のころご指導をうけるなど、色々とお世話になった方でした。
太平洋戦争中の昭和18年ごろから、内閣情報局の宣伝技術メンバーとして国家総動員、国民総力戦の国民運動を啓発するためのポスターや、壁画制作にあたったのですが戦災で自宅が焼け、そのほとんどは消失してしまったそうですが、会場にはわずかに残ったポスターが展示されていました。戦時中に国策であったこのような国威高揚(こくいこうよう)を図る、扇動的(せんどうてき)な表現のプロパガンダ(戦争宣伝)に関わっていた美術家は、戦後道義的責任という理由で、その責任を問われたりしたようです。その代表的画家に藤田嗣治がいます。戦争画を描いていたことを非難され、追われるようにフランスに渡り、サロン・ドートンヌ会員、審査員として活躍し、エコール・ド・パリの代表的画家となり、帰国することなく帰化して、レオナール・フジタとして生涯を終えたのですが、「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と語っています。
高橋春人さんも「理屈(りくつ)じゃないんだ、戦争はダメだ」と折にふれて言っていました。そうしたことからか、戦後は一貫(いっかん)して、幸福を希求(ききゅう)する公共ポスターひとすじで、高度経済成長期でも商品ポスターはほとんど手がけませんでした。代表的なものに昭和22年〜53年までの30年間という長きにわたり赤い羽根募金といわれた共同募金・赤十字募金のポスターデザイン。昭和39年(1964)の東京オリンピックと同じ年に開催された東京パラリンピックの招致ポスター、公式ポスターデザインなどがあります。神楽坂のご自宅の仕事場でお話を伺(うかが)ったり、作品を見させてもらったりしたころが懐かしく思い出され、何もかもが少なく不自由であったポスターに見る昭和は、平成の今、ついこの間のようでもあり、遥(はる)か遠い昔のようにも感じられ、いろんな想いが交錯(こうさく)し、感慨深(かんがいぶか)く心地よい空間でした。平成といえば29年前、当時官房長官であった小渕恵三さんが思い出されます。官邸での記者会見で、新しい元号(げんごう)は「平成」であります。と平成と書かれた額を掲(かゝ)げる、昭和から平成への時代を象徴するシーンが報道され、平成おじさん、などとも呼ばれた小渕さんが、平成10年に総理大臣になられ、その年二科展デザイン部へ来られご案内をしました。これは通産大臣であった深谷隆司さんが二科展デザイン部に出品し入選したことから、その作品を見に来られたわけです。深谷さんは絵が得意で海外でのスケッチを生かした観光ポスターでの応募でした。
その小渕さんが12年に突然亡くなられ、5月16日青山斎場で葬儀がありましたが、その日私は「愛知万博・愛地球博」の公募ポスターの打ち合わせのため、経産省の応接室で担当の審議官を待っていました。かなり遅れてこられ、小渕さんの葬儀に行き道路が混んでいて遅れたとの事情を知りました。
昭和から平成に移ったころはなじめなかった平成もすっかり馴れ、今は平成生まれの学生に囲まれていますが、以前、今年の新入生は平成生まれだ。と学内で話題になったことがありました。
激動の昭和を経(へ)ての平成ですから、心おだやかに平静(へいせい)でありたいとの思いです。

2017.4.28

草木が萌(も)えでるように芽吹き、その若葉の萌黄色(もえぎいろ)がだんだんと増し、常緑樹と落葉樹がその色の違いを見せ、冬枯れの「山眠る」から、まさに萌える春の「山笑う」です。そんな新緑に囲まれた山あいの相模湖リゾート プレジャーフォレストでのフレッシャーズ・レクリエーションに今年も同行しました。21日の朝、新入生とその担任など教職員473名が、大型バス11台で原宿を出発しました。あいにくのくもり空でしたが、風も弱くほどよい気温の中、それぞれ班ごとにダッチオーブンでトッピングを工夫したオリジナルピザを焼き食べ、フリータイムではプレイランドで遊ぶ学生たちの躍動感みなぎる、まぶしいばかりのその姿は、夢と希望に満ちあふれ、萌黄色に芽吹いた新緑のごとく、すべての命が、春の息吹を謳歌(おうか)しているかの、青春まっただ中でした。留学生懇親会で会った留学生の笑顔もあちこちで見られ、学生同士や教職員とのコミュニケーションを図り、今後の学園生活をよりよくする。という目的にはつながった光景でした。
周りの山肌や山すそでは、ヤマザクラ、ヤブツバキ、ツツジ、ヤマフジ、ボタンザクラ、クサボケ、ヤマブキ、足元にはスミレ、タンポポなどが咲き、それらに呼応(こおう)、感応(かんのう)したかのように、学生たちが焼いたピザも春の花々のように、色どり豊かなトッピングで、春色に染まっていて各テーブルは春らんまんでした。緑の春ですが、古くは緑も青といゝ、いまでも緑色なのに青葉、青信号などというのもその名残(なご)りだそうですが、やわらかい新芽の瑞々(みずみず)しさや、若々しい緑のイメージからこの時期を、人生の春にたとえ「青春」というのも、こゝから生まれた言葉のようです。
教職員のテーブルでは、デザートに米どころ新潟県の代表的な和菓子である、笹ダンゴが出され美味しくいただいたのですが、これは本校の卒業生で、佐渡島出身の職員が実家から送ってきたからと、持ってきてくれたもので、日本の和菓子とイタリアのピザとの粋(いき)なコラボでした。この笹ダンゴは春を告げる野草のヨモギをねりこんだ餅(もち)に餡(あん)を入れ、ダンゴにして笹の葉にくるみ、ヒモで両端(りょうはし)を絞(しぼ)り、中央で結んで蒸(む)したり茹(ゆ)でたりして作られるのだそうです。越後(えちご)が生んだ郷土の名産品で、かつて俳人の俵万智が「イッセイの シャツ着こなせる若者が ふるさと自慢に言う笹だんご」と、うたいました。このヨモギは草餅にすることから餅草(もちぐさ)ともいゝ、その香りは邪気(じゃき)を払うというハーブの女王とも呼ばれるほど、その効能は強く薬草としてもよく、天ぷらなどの食材としても春を代表する野草のひとつです。四方に根を伸ばして、繁茂(はんも)すると言う意味から「四方草(よもぎ)」と言い、燃える草から「モグサ」とも言うそうですが、お灸(きゅう)につかうモグサは若葉を採り、天日で干(ほ)して乾燥したものをもんで丸めて体に置き、燃やすことで血のめぐりがよくなり、保温にもよいとされ、子供のころ祖母がこのお灸をしている姿をよく見たものでした。こゝからヤイトグサという別名もあり、私がイタズラなどをしたとき、祖母からヤイト(お灸)するよ。などといわれたものでした。
そんなお灸をすえてくれるような年長者がいなくなり、いつのまにかお灸をすえる立場になってしまいました。万事灸(ばんじきゅう)す。ではなく、灸(きゅう)すれば通ず。にしたいものです。

2017.4.15

春はあけぼの……。枕草子(まくらのそうし)のごとく、春は夜明けの空が明るくなる明けがたの曙(あけぼの)がいゝという、そんな朝、玄関を開けると近くの里山からウグイスの鳴き声が聞こえ、まさに季節は春ですが、桜が見ごろを迎えたと思ったら、寒暖や雨が行きつ戻りつしたような日々があり、そんな不安定な天候のおかげで、まだサクラが咲き残っていた10日の朝、明治神宮の神域の芽吹きはじめた木々にかこまれた明治神宮会館で、新入生441名を迎えて入学式を行いました。 この日は、これぞ春。といったおだやかな陽気に恵まれて、幸先(さいさき)のよいスタートをきることができました。式場には、さわやかな春の息吹(いぶき)が漂(ただよ)い、春風がそよそよと気持ちよく吹く、春の、のどかなさまをいう、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)という言葉が浮かんできました。そんな中、学校長式辞、理事長祝辞、来賓祝辞、教職員紹介、新入生宣誓。と式次第にそってとどこおりなく進行することができました。引き続き在校生の学業成績優秀賞、学園特別賞などの賞状授与を行いました。新入生はそのまゝその場でガイダンスがあり、保護者の方には参集殿に移っていただいて「春季保護者説明会」を行い、多くの熱心な保護者の皆さんに参加いただいて、私は改めてアイサツをさせていただきました。
本校に入学したことで出会った仲間は、自然の大きな循環(じゅんかん)の中で、有機的につながっているような気がします。人と人とのつながりに距離感や過ごした時間は関係なく、つながるべき相手はその前からつながっているのではないでしょうか。見ず知らずだった人たちがこうして出会って仲間になるわけですが、それぞれ多様な価値と感性が出会ったことで、新たなクリエイションが生まれるのでは、と期待しています。
毎年たのしみにしている神宮会館の庭のシダレザクラの紅色の花、純白の花が満開で見ごろでした。サクラの種類は300種以上あるそうですが、それぞれの多様な価値と感性の違う400名を超える新入生を見ていると、野生種、自生種、園芸種、八重咲き、一重咲き、花の色も大きさも、早咲き、遅咲き、など開花時期も違うそんなサクラになぞらえてしまいました。
サクラといえば、当て字で偽客(にせきゃく)と書く、売り手とぐるになって客の購買心をそゝる役をする大道商人の仲間や、演者と共謀(きょうぼう)して聴衆(ちょうしゅう)にまじり、他の人々にも共鳴させるような言動をするいわゆるヤラセの人をサクラと言いますが、語源は諸説あるようです。その一つに江戸時代の芝居(しばい)小屋で役者に声をかけるヤラセの見物人役はパッと派手に景気よくやって、パッと消えることからサクラのようだ、とそう呼ぶようになったというのがあります。 そういえば、映画「男はつらいよ」シリーズで大道商人だったフーテンの寅さんの妹の名は「さくら」でした。

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