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今村昭秀学校長のコラム

今村昭秀学校長のコラム 2006年度

今村昭秀学校長イラスト

(イラスト:マンガ科 小日向一葉)
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2006年度

2007.3.19

春の息吹を感じはじめた3月初旬、卒業制作展を行い、卒業式も無事に終えることができました。本校1号館、2号館で行われた卒業制作展では、それぞれの専門分野で学んだ成果が具体的な形で表現されていました。多くの思いを込めた集大成である完成度の高い力作ぞろいの全作品を何回も見させていただきました。
入学して間もない頃のことを思えば、よくぞここまで、と教員の指導に敬意をはらうと共に学生の目をみはるような成長には感動すらおぼえました。最優秀賞、理事長賞、学校長賞、校友会会長賞の審査では、各科から選ばれた候補作を制作した本人にプレゼンテーションをしてもらい決めましたが、各科の優秀作品を同じフィールドで優劣をつけることは難しく、すべてを入賞としたかったのですが、数が決まっているため、辛い選択をせざるをえませんでした。 卒業式は明治神宮会館で行われ、卒業生の皆さん、保護者の方々に心よりお祝いを申しあげました。式辞の中で私は「卒業って入学なんだ」という話をしました。実社会で働くということは社会の一員になるということですから、これから社会に出て、多くのことを実体験から学んでいくということを入学という言葉に置きかえたわけです。
最後に、「挫折を勇気と力に変えるために、あなたの人脈の中に、私たち教職員を入れて下さい。直接教わった先生方、折にふれて色々な形で関わった教職員はあなたの人脈なのです。どうか。この人脈をこれからの仕事や人生に生かして下さい。使って下さい。利用して下さい。頼って下さい。これからもあなたを応援します。」と伝え、卒業生の人生が豊かで充実したものになることを祈って、式辞を終えましたが、卒業生の心に届いたかどうか気になっているところです。

2007.3.5

本校1号館の、受付壁面スペースに私が原画制作をしたタペストリーがかかっています。こ れは日中国交正常化30周年のとき、それを記念して中国で制作したものです。中国の会社と提携し上海に支社をもっているパッケージ企画制作会社が日中の関連会社に贈ったうち の1枚です。この絵のモチーフには花と猫2匹を配しています。中国と猫とどういう関係があるのか不思議に思われますが、これには理由があります。中国は80年代に改革解放政 策をとり、市場経済に移行したことが現在の経済的成長につながっているわけですが、当時の実質的最高指導者の鄧小平が「改革をしない者は退陣しろ」とか「白い猫でも黒い猫で もネズミをとる猫は良い猫だ」などの強いメッセージを放ち、センセーションを巻き起こしたことをテーマにしたわけです。
中国と言えば本校の元学校長で昨年97才で亡くなられた村井資長先生を思わずにはいられ ません。村井先生は早稲田大学総長、東京都教育委員会委員長など数多くの公職、要職を歴任され、高等教育懇談会委員、専修学校教育に関する調査研究協力者会議座長として関 わられたこともあり、現場の専修学校で実践したいとの思いで本校学校長に就任されたとお聞きしたことがあります。私もすでに本校講師であったため学校で色々とご指導を受け たのですが、学校とは別に中国と関係したご縁がありました。先生のご専門は草炭(ピート)研究でピートを使って砂漠を緑化することに晩年は情熱をかたむけ、中国のシルクロ ードを緑化する視察団や中国との共同研究などの団長として中国に何回も訪れていました。先生はある中国側研究者の娘さんが日本の大学に留学するための身元引受人、保証人を引受けられ、そ の娘さんが大学を卒業し日本でマネージメントを勉強するため、中国と取引をしている会社に就職しました。その会社が前述したタペストリーのクライアントである私の友人が社長をしている パッケージ会社でした。これはまったくの偶然でその娘さんと村井先生の関係を知ったのはしばらく時間がたってからでした。それから村井先生、社長(友人)、娘さん、私と4 人で時々食事を御一緒させていただきながら幅広い話題の興味深いお話を聞かせて頂きました。先生のご著書「早稲田の杜は生きている」、曽野綾子さんとの共著「何のための教育 か」などもいただき折にふれて読ませていただいております。
今にして驚くのは当時先生は80才代後半で私など青二才とお付き合い下さったことですが、さらに驚くのは89才の 時に村井地球環境財団を立ち上げる設立準備委員会にも呼んでいただき、参加させていただいたことです。財団の組織には村井先生が理事長、副理事長にはエジプト研究の吉村作治(早稲田大学教授・ 吉村先生には本校で講演をして頂いたことがあります。)で、顧問は平山郁夫(画家、元東京芸術大学学長)、三浦朱門(作家、元文化庁長官)などそうそうたる方々が予定されていました。村井先生の 年を重ねても、あらゆることに肯定的で積極的な生き方、偉ぶる事なく、謙虚でどこまでも穏やかで、温厚なお人柄には及ぶべくもありませんが、昨年5月の「村井資長先生お別れの会」(早稲田大隈 講堂)で先生を偲びながら、人間として、教育者として先生を目標、理想とさせて頂きたいとの思いを一層強くいたしました。先生がお亡くなりになられた年に私が学校長に就任したことも不思議な縁を感じますが、この出会いとお別れを大切 に、先生からバトンタッチをしていただいたつもりで、本校のあらゆる施策に活かさせて いただきたいと思っています。

2007.2.16

2月とは思えない春の陽気の日曜日、六本木にオープンした波打つような総ガラス張りの「国立新美術館」に行ってきました。オープン記念展である、20世紀以降の美術の流れをたどる「20世紀美術探検、アーティストたちの3つの冒険物語」、日本のアニメやマンガ、ゲームなどの表現の変遷をたどる「日本の表現力展」、国立新美術館をデザインした設計者を紹介する「黒川紀章展」を見ました。
この3つの企画展は絵画、彫刻、写真、工芸、デザイン、建築、マンガ、アニメーション、ゲームなど、アートからポップカルチャーまで20世紀の多種多様な展開で表現領域を越境するボーダレス化や、めまぐるしいメディアの変容を具体的な形(作品)で見ることができ、教えられることが多くありました。
本校の学生も校外授業で訪れており、私にはリアルタイムの作品も、学生の目には過去の作品であることがむしろ新鮮に映り、関心・興味をひき、多くの刺激を受け、新たな視点や発見が加わり、過去・現在・未来へとつながるべく、何らかの形で課題制作のアプローチに生かされるのではないかと期待しております。
この国立美術館のオープンは私個人にとっても感慨深いものがあります。文化庁による建設途中の建築施設案内会、説明会、下見会などに出席し、30数年前を思い出しました。東京都知事が美濃部さんになったとき、東京都美術館で開催していた公募団体の会期、スペースを少なくされたことに対する不満から日展、二科会などの有力公募団体が結束して「東京国立現代美術館(ナショナルギャラリー)を促進する会」をつくり、要望書を出すため当時の東郷青児二科会会長の命を受け、私も会員として署名集めをしました。その後、色々ないきさつがあり、2001年東京大学生産技術研究所が駒場へ移転することになり、その跡地に30数年を経て国立新美術館が建設されることになったわけです。この新美術館は他の国立美術館と違い、作品の収集はせず、所蔵品もなく、団体展と企画展のみの展示中心の美術館になったことには、こうした背景があったからです。要望書を出した当時の方々の多くはすでに亡く、30年来の悲願が実現したわけですから、この施設を私たちが生かすべき責任があることを改めて強く胸に刻みました。

2007.1.29

冬休み明けの授業が始まり、2・3年生は卒業制作に取り組んでおり、校内は活気と熱気に満ちています。授業終了後も教室に残って制作を続ける学生も多く、この季節に毎年見られる風景でもあります。
ビジュアルデザイン系の卒制はB1サイズ2点を制作することになっていますが、用紙のサイズにはA判・B判とあり、その違いを学生から質問されることがあります。A判はもともとドイツの規格で、オストワルド(ノーベル科学賞受賞)が考案したもので、今ではグローバルスタンダード(国際基準)となっています。一方B判は、日本の和紙(美濃判)からきており、江戸時代に格式の高い紙の寸法とされ、明治に入って日本の標準寸法となりました。現在は、A判・B判が用途によって使い分けられ、良い補完関係になっています。かつて公文書はB5判でしたが、現在の役所の文書はA4判に統一されています。ドイツのオストワルドよりも前に江戸時代の文人 蜀山人(しょくさんじん)が、大工さんの使うL字形のかね尺の比、1対ルート2(A判と同じ)を書籍などの寸法に使ったら美しいと提案していたそうです。(オストワルドは、色彩の表示方法でも科学的な優れたシステムを考え出しています。) クリエーターや学生が良く使うケント紙(純白で紙面がちみつ)は、イギリスのロンドン南東にあるケント地方で初めて作られ、日本でも高級紙として輸入されていましたが、国内でも安く作られるようになりました。本校の提携校であるUCCA国立芸術総合大学(旧ケント芸術大学)もこの地にあり、何かの縁、つながりを感じます。
日本は明治以降、ドイツやアメリカなどの欧米文化や価値観を取り入れて、近代化を進めてきました。その結果、あらゆる分野で日本らしさが失われてしまったという声が聞かれますが、古来より日本人は海外からさまざまな文化を取り入れ、それらをうまく吸収し、日々の暮らしの中で洋と和をたくみに調和、融合させてきました。その柔軟でしたたかな精神性が、用紙のサイズ一つをとってみても、クリエーション(創意・創造)に脈々と生きており、憂慮する必要はないのではないでしょうか。

2007.1.10

校長となって初めての新年ということもあり、今年は特別な思いで新しい年を迎えました。1月5日、本校の地元にある鳩森八幡神社(鳩森神社)へ新年祈願と仕事始めの参拝に行ってきました。9日から授業が始まることもあり、学生・教職員の安全・安心を祈願してきました。鳩森神社は1146年前(860年、貞観2年)に創建された由緒ある神社です。周囲は低層のオフィスビルや住宅となっており、境内は木々が多く、静寂な超俗空間で、心身ともに清められる思いでした。日本の神社は、物欲的な消費による行きづまりがある物質文明を超える精神文化、人知を超える自然との調和、共生の自然摂理など、日本の文明や文化の独自性の象徴であり、縮図と言えそうです。
ところで、今年はイノシシ年ですが、これは日本だけで(本校の年賀状のイラストもイノシシでした)、グローバルスタンダードではブタ年だそうです。中国、韓国、香港などのカレンダーには、ブタのイラストが描かれています。「亥、猪」は日本ではイノシシと読みますが、中国ではブタと読みます。西遊記の猪八戒(ちょはっかい)がイノシシではなくブタであることを思えば、なるほどと思います。ではなぜ日本ではブタ年ではなくイノシシ年なのでしょうか。干支が入ってきた頃の島国日本ではブタを飼っていなかったからだそうです。ブタは野生イノシシを家畜化したものですが、大陸(中国)と違って森林豊かな島国日本では、ブタを飼うよりイノシシを狩猟した方がてっとり早かったから、ブタをイノシシということにしてしまったようです。ここにも島国である日本文化の、良きにつけ、悪しきにつけ、日本的なるものの独自性がみてとれます。いささか強引ですが、その深さと広がりが、神社のそれと通底しているのではないかとの思いを馳せた新年でもありました。

2006.12.25

すっかり冬(12月)の風物詩となった、都内のあちこちで見られる華やかにライトアップされた東京の街のイルミネーション。表参道も12月5日ライトアップされ、8年ぶりのケヤキ並木を彩る復活の光として各メディアに報道されました。これは「表参道アカリウム実行委員会」および「原宿表参道欅(ケヤキ)会」(本校も会員)が、環境にやさしい、新しい和のあかり空間「表参道akarium(アカリウム)」として開催しているものです。(本校もボランティア協力をしています。)
今回のAKARIUMは表参道のケヤキ並木を痛めず、街並みに溶け込む純日本的な行灯型の明かりとなっています。ネーミングは「あかり」+「-ium(空間)」とし、ライティングそのもののオブジェではなく、見に来られた人たちに表参道の街並みも、その全てが一体となるインスターレーション(空間全体を表現するもの)となっています。高さ6メートルの塔(幅・奥行1.2m)60基が、約1kmにわたりLED(発光ダイオード)の柔らかく、おだやかな光で時期や時間によって多彩で幻想的なあかりを演出して、冬の表参道をあたたかく彩っています。
8年前までの表参道のライトアップは、ケヤキ並木にほどこされたイルミネーションが華麗な光の競演をしていました(日本のシャンゼリゼとも言われ、原宿表参道欅会も原宿シャンゼリゼ会でした)。その頃の印象をもたれている方には、今回のライトアップは地味で物足りないようですが、表参道は1919年(大正8年)に明治神宮が創建されたのを機に、その正面側の参道として整備された道路ですから、明治神宮へとつづく表参道には今回のライトアップは、純日本的な要素と国際的な要素の融合した文化の街を象徴するにふさわしい「明かり」として私は好きです。(「表参道akarium(アカリウム)」は2007年1月8日まで開催されています。)皆さん良いお年をお迎えください。

2006.12.12

先日、地元の千駄谷小学校 創立130周年(明治9年開校)記念式典、祝賀会に出席させていただきました。今年は本校も創立40周年(昭和41年開校)にあたり、何か両校で記念になるようなコラボレーションができないだろうかとの話がもちあがりました。千駄谷小学校では創立130周年記念モニュメントを設置し、そのデザインを本校ディスプレイデザイン科の学生が提案させていただくことになりました。小学校の校長室での数回にわたるプレゼンテーションの後、1点に絞られ決定しました。
式典当日の朝、設置されたモニュメントの除幕式が行われ、デザインした本校学生も小学生と共に参加しました。式典では、小学生の校歌斉唱、鼓笛演奏、喜びのことば、などがあり、児童たちの清々しく、きびきびとした立ち居ふるまいが静かな感動を呼び、心が洗われる思いでした。
その時いただいた千駄谷小学校校歌のプリントには、千駄ヶ谷尋常小学校校歌とあり、学校所在地が「東京市渋谷区原宿3-316 昭和12年10月15日届(昭和13年1月23日文部省より認可サル)」とありました。現在は、東京都渋谷区原宿という住所は存在せず、いつ頃から住所表記が変更されたのか興味がわき、地名の変遷を調べてみました。
1871年(明治4年)東京府豊嶋郡原宿村(廃藩置県により)...1889年(明治22年)東京府南豊島郡千駄ヶ谷村大字原宿(千駄ヶ谷村に編入)...1932年(昭和7年)東京府東京市渋谷区原宿、1943年(昭和18年)東京都渋谷区原宿(東京都制施行)、1965年(昭和40年)東京都渋谷区神宮前・東京都渋谷区千駄谷(住居表示変更)とあり、東京府の原宿村ができた1871年は明治政府の学制発布の年でもありました。千駄谷小学校はその5年後の1876年(明治9年)に開校されていることを思えば、いかに長い歴史であるかということを再認識しました。(日本で最も古い小学校のひとつである長野県松本市の開智小学校(現博物館)は1873年(明治6年)開校。) 学制発布以前の教育は、家塾、私塾、藩校、寺子屋などがあり、家塾、藩校は公立学校、私塾は私立学校となり、寺子屋が専門学校への流れといえます。現実社会に役に立つ実用的、実践的教育に徹するという寺子屋の思想は、そのまま現在の専門学校の教育理念に生きていて、専門学校は新しいかたちの現代の寺子屋と言ってもいいのかもしれません。

2006.11.24

イチョウの並木もまだ黄色に染まっていない秋もなかば、「明治神宮外苑がデザインミュージアムになる6日間」のキャッチフレーズで、「東京デザイナーズウィーク」が外苑中央広場で開催されました。国内外のインテリアのショップ、メーカー、デザイナー、学校、大使館、メディアが、「LOVE」をテーマに、さまざまなコンテンツで表現するコンペティション、エキシビジョンなど多彩なイベントが展開されました。絵画館前広場の屋外展示場では、次代を担う学生によるストリートファニチャー国際大会が行われ、国内外から本校を含め51校が参加、選ばれた500作品の斬新で変化に富んだ作品群は、なかなか壮観でした。 本校からもインテリアデザイン科、ショップデザイン科の学生6名の作品が出展されました。 「ハートに包まれた愛を感じる椅子」、「目の不自由な人のための道案内」、「心(愛)を届けるポスト」、「環境問題を提起するゴミ箱」、「マンホールチルドレンの叫びをシンボライズしたメッセージ作品」、「赤いハート形の曲線が光と共に映り込むテーブル」。
それぞれの作品が、柔軟でみずみずしい感性と発想に満ちていて、大変見応えがありました。形態は機能に従うというモダンデザインの理念や、ポストモダンを超えた若さゆえのカオス(混沌)の魅力ともいえるエキサイティングな表現は、新しいデザインの可能性への予感に満ちていて、心地よい気分で会場を巡ってきました。
また、赤坂会場のアークカラヤン広場では、プロダクト、建築、インテリアのプロデザイナーによるエキシビジョンがありました。本校の住宅デザイン科、ショップデザイン科、インテリアデザイン科、ディスプレイデザイン科の講師も作品を出品しており、学生作品とは異なった魅力と完成度で、デザイナーを目指す学生たちの良き指針となっていました。

2006.11.10

先日、東京ビッグサイトで、キャラクターの商品化、ライセンスビジネスに関する国際的なショー「LICENSING ASIA 2006」が開催されました。サンリオ、ワーナー、ユニバーサルスタジオ、ソニー他、国内外の有名企業のブースが並ぶなか、本校も出展。ビジュアルデザイン科、イラストレーション科の学生がオリジナルキャラクターを出品しました。また、本校ブースは、ディスプレイデザイン科の学生が展示を担当し、既に定評のある数多くの有名キャラクターのなかで、若々しく新鮮で、軽やかな感性のキャラクター作品が効果的な展示で目立っていました。
来年は、マンガ科や新設学科のアニメーション科の学生も出品参加し、より幅広い表現のキャラクターが見られることを思い描きながら、会場を回ってきました。
豊かな多様性と進化を続けるマンガやアニメーションは、日本が誇る表現メディアとして世界中を席巻し、若者のあこがれとなっていますが、静止画であるマンガと動画であるアニメーションは、大衆文化の一つという事以上の機能をもち、世界に誇るコンテンツとして産業界も注目しています。全国各地の美術館でもマンガやアニメの企画展を開催し、マンガやアニメをアートの文脈に入れて社会的・文化的価値を認め始めていますが、国も「日本21世紀ビジョン」の中で、アニメ・マンガなどの技術力を生かした「文化創造国家」になることを標榜しています。中国・韓国でも日本と同様にマンガやアニメに対して国をあげて力を入れてきています。アニメやマンガが表層的なサブカルチャーであるおたく文化ではなく、メインカルチャーとしての内外の関心や環境が整ってきている中、本校がエンターテイメント分野のクリエーターを育成することはタイムリーであり、その一翼を担うクリエーターを輩出したいと思っています。

2006.10.26

秋の気配に季節の移ろいを感じた10月中旬の3日間、本校創立40周年記念学園祭「2006原宿祭」を行いました。作品展示を中心に、40周年記念事業、各プロジェクトのプレゼンテーション、エコデザインシンポジウム、ほか学生主体の多彩なイベントが展開され盛り上がりました。
40周年記念の共通テーマを、地域に根ざした「エコ・美化・デザイン」として、地元千駄ヶ谷小学校創立130周年記念モニュメントのデザイン、原宿署防犯ポスターデザイン、裏原宿落書防止キャンペーン壁画制作、原宿表参道クリーン清掃ボランティア、原宿表参道元気祭「スーパーよさこい」のスタッフTシャツデザイン(元気祭当日は、参加チームの踊り手の着替え場所に本校を提供)、PASSコミュニケーションズ神宮前交差点スーパービジョン放映映像と手提げ袋デザインなどに、学生が取組み協力させていただきました。また、全学生が参加制作した「原宿からエコ1000のアイデア」も展示され、好評でした。
ところで、本校はJR原宿駅竹下口から3分のところにある「学校法人原宿学園 東京デザイン専門学校」ですが、住所は「千駄ヶ谷3丁目」です。そうです、原宿という住所はなく、神宮前、千駄ヶ谷の一部が原宿地域となります。本校の屋上からは、その原宿、表参道青山、六本木ヒルズ、東京タワー、新宿高層ビル、そしてそれらと対照的な神聖で静寂な明治神宮の森が望めます。明治神宮の森は、大正初めに全国から寄せられた木々を植えて100年以上を経てようやく自然の森に近づいた人工の森ですが、100年後、200年後を見据えて計画されたエコデザインといえます。
明治神宮の表参道は、高感度の人、ショップが集まり、日々変化する刺激的な街です。ファッション、グラフィック、インテリア、建築、ディスプレイ、アートなど、新時代カルチャーの発信地といえます。クリエーターを育成するには、なんと豊かで恵まれた教育環境にあるのだろうと、地元原宿との多くの関わりの中から改めて感じ、生きた教科書として、この環境を、学生と共により良く活かし続けようとの思いを新たにしました。

2006.10.13

本校には、社会人がスキルアップや転職を目指すアフタースクール、昼間、大学に通いながらのダブルスクールの場として、社会人や一般大学生向けの夜間講座があります。
先日、そのキャリアコース(夜間講座・6ヶ月コース)の修了証書授与式及び修了パーティーを、本校イベントホールで行いました。6ヶ月間とはいえ、昼間の仕事を終え、疲れた体で学校に通うのは、大変な努力と強い意志、情熱が必要ですが、修了した皆さんには心からの敬意を表したいと思います。
パーティーでは、さまざまな年齢と職業の方々が、共通の目標をもった仲間と出会い、励ましあい、頑張り通した、充足感・達成感による晴れ晴れとした笑顔の輪があちこちで見られました。私もそれを嬉しく、楽しく、喜びを共にさせていただきましたが、反面、本当に満足してくれただろうか、という一抹の不安と反省もつきまといました。
私自身キャリアコースの授業を週2回担当していますが、受講生には社会人が多いこともあり、教員への評価も厳しく、自らの研鑚を怠れない緊張感があります。人に教えるということは、いかに不遜で、傲慢であるかということを常に忘れず、謙虚に授業に臨まなくては、と改めて思わされた自省、自戒の時間(とき)でもありました。

■夜間講座のホームページはこちら

2006.10.2

先日、デザイナーであり、イラストレーターでもある、文珠四郎義博さんの「細描画の世界」(毎日新聞日曜版連載小説 阿刀田高「おとこ坂おんな坂」のさし絵)の画集出版、特別展覧会記念パーティーに行ってきました。 後援が毎日新聞社、日本広告制作協会(OAC)、東京グラフィックデザイナーズクラブで、本校はOACの賛助会員となっています。そのOACの会員各社には、本校の卒業生がお世話になっており、私の友人、知人にもOACあるいは東京グラフィックデザイナーズクラブのメンバーがいるため、日頃の御礼と懐かしい顔に会えるのではないかとの思いで出席しました。
会場は、銀座4丁目の交差点にあるサッポロ銀座ビル9Fの銀座スターホール(展覧会は8Fロイヤルサロン)。当日出席の阿刀田高さんによれば、日本で最も華やかな場所で行われました。出席者は、広告制作会社の社長、クリエーター、日本の広告デザインの黎明期から高度成長時に広告デザイン制作で活躍され、現役を退かれた大先輩の方々など幅広い中、OAC創立にも尽力され、40年にわたりお付き合いさせていただいているアドブレーン会長の佐々木幸三さん(アドブレーンでは卒業生がチーフデザイナーとして活躍しています。)、アーツ社長の嘉悦歌さん、OAC会長で一星企画社長の服部邦繁さん、他多くの方々とお会いすることができました。日本の広告デザインの歴史が人を通して見えてくるようなパーティーは、有意義で楽しい銀座の夕べとなりました。

2006.9.15

秋篠宮家の新宮さまご誕生のお喜びの中、9月12日朝、上野の東京都美術館に、天皇、皇后両陛下が第91回二科展をご鑑賞のため、ご来館されました。私もデザイン部代表として、二科会各部代表(絵画・彫刻・デザイン・写真)と共に、お出迎え、ご案内をさせていただきました。天皇陛下は、皇太子時代から二科展にお見えになられ、ご結婚後も美智子妃殿下と共に、ほぼ1年おきに二科展をご鑑賞されております。(二科展では、本校の在校生・卒業生も多数入選しています。)
陛下が皇太子時代にお見えになられた頃の二科展は、旧東京都美術館で開催されていました。旧東京都美術館は、大正15年に建てられ、当時はヨーロッパ調の威風堂々とした建物でした。老朽化により昭和50年に建て替えられましたが、現在に至るまで80年の歴史があり、二科展の歴史もほぼ東京都美術館と共にあったといえます。二科展は、来年から六本木に完成した国立新美術館で開催されることになり、上野での開催は今回で最後となりました。
二科展にデザイン部ができたのは56年前で、まだグラフィックデザインという言葉もなく、創立時は商業美術部といっており、商業デザインとか商業デザイナーなどといわれはじめた頃でした。創立当初は、商業美術部の会員(審査員)がいなかったため、東郷青児、“芸術は爆発だ”の岡本太郎などの絵画部会員が審査にあたっていましたが、高度成長といわれた産業経済の活発化に伴って、デザイナー志望者も急増し、二科展商業美術部への応募数も4、5千点を越す盛況が続き、デザインブームなどの声も聞かれ、会員も増え、今日に至っています。その後、グラフィックデザイナー、イラストレーター、コピーライター、フォトグラファー、アートディレクターなどと細分化される流れの中、本校も創設され今年40周年となりました。
日本のクリエーターが生み出すクリエーション文化に、各国の若者があこがれるほどになろうとは当時は想像もできないことでした。

2006.9.4

韓国に行ってきました。
江南大学ユニバーサルデザイン研究所主催「シルバー産業ユニバーサルデザイン展」公募部門の国際審査員を依頼され、審査と授賞式(ソウル国際デザインプラザ)に出席してきました。今、社会から最も求められている、あらゆる人に快適でやさしいユニバーサルデザインについて色々と考えさせられる良い機会でした。夜は江南大学の学生・教師と一緒に、美味しい韓国料理と、おしゃべりで楽しい時を過ごしました。
翌日は、成均館大学教授で大韓産業美術家協会理事長の白金男先生と数年ぶりの再会をして、今後の日韓デザイン交流について話し合ってきました。成均館大学で白先生に教わり、卒業後、本校に留学して私が教えたという共通の教え子がいるのですが、ソウルで一緒に会ったり、本校に私を訪ねてきてくれたりと交流を深めています。(余談ですが、ヨン様ことペ・ヨンジュンも白先生の教え子です)

2006.8.18

夏休みに入った学校は、体験入学、説明会、オープンキャンパスなどがあり、通常の授業とは違う雰囲気の活力に満ちた空間となっています。そんな中、本校の海外提携校であるイギリスの国立ケント芸術大学への留学(編入学)希望者の面接を行いました。中学の頃からイギリスに興味を持っていたとのことで、強い意志と情熱を感じました。グローバルな視点で幅広い知識・技術・感性を育んできて欲しいと思います。
今月21日~30日には、海外研修旅行でケント芸術大学を見学することになっています。私が初めて行った外国もイギリスでしたが(37年前)、まだ成田空港はなく、そして当時は東西冷戦中でソ連(ロシア)上空は飛行できないため、羽田空港を発ちアラスカのアンカレッジを経由する北極回りで、時間もかかりました。当時のイギリス(ロンドン)はファッション(モッズルック)、アート、デザイン(サイケデリック)、音楽(ビートルズ)など若い世代のうっせきした叫び声ともいえる鮮烈な表現の発生源であり、発信地でもあり、ニューヨークで開花したポップアートの萌芽もロンドンだったのではないかという強い印象を受けました。他にもパリ、ローマ、バルセロナなどを回りましたが、ロンドンの強烈な印象が頭から離れませんでした。

2006.8.10

先日、二科展デザイン部門の審査をしてきました。
全国から応募された多くの意欲的な作品(本校学生も夏休みに入ってから短期間で制作して出品しました。)の入選、落選を決めるのは、審査の宿命とはいえ、辛いことです。
色々な審査に参加して感じることは、欠点の多い作品ほど魅力があるということです。人間の魅力と似たところがあります。欠点の部分に惹かれて好きになるのと同じで、落差が大きいほど、それが魅力となって、入選・受賞になるようです。

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