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今村昭秀学校長のコラム

今村昭秀学校長のコラム 2008年度

今村昭秀学校長イラスト

(イラスト:マンガ科 小日向一葉)
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2008年度

2009.3.30

梅の花も散りはじめ、桜の開花がはじまるこの3月は、「会うは別れのはじまり」などと言われるように、さまざまな別れの時でもあります。 本校の別れのセレモニーである卒業式は、13日に明治神宮会館で行われました。多くの保護者の方々が見守る中、卒業証書の授与からはじまり、学業成績・卒業制作・学園特別賞などの各賞138名の表彰を行いました。学園特別賞は社会活動推進室のサポートによる各種コンペ・コンクール、企業課題や原宿表参道地域とのコラボレーションなど授業以外の活動によるものです。このように意欲的な多くの学生が在学中に主役・主人公になることができたことをうれしく、たのもしく思いました。これからもこうした環境を整えて、より多くの学生が広く参加できる機会をつくっていきたいと思っています。 卒業制作展では、それぞれの専門分野で学んだ集大成である思いのこもった1,200点もの力作を見させていただきました。そのセンスの良さと完成度に感心しました。入学した頃のことを思うと、よくぞここまで成長してくれたものだと感動すら覚えました。
本校は教育目標として、「プロのクリエーターとして第一歩を踏み出せる人材を育てる」ことをかかげています。その成果が卒業制作展の作品に具体的に示されていて安心しました。 卒業式は広い世間・社会に踏み出す新たな門出、出発の日でもあります。実社会では多くの実体験を通していろいろ学んでいくわけですから、そういう意味では学校は卒業ですが実社会へは入学する日とも言えます。自信をもって社会への第一歩を踏み出していって欲しいと思います。数年後の活躍を楽しみにしつつ無事に卒業式を終えることができました。

2009.3.12

奥多摩の渓流を目の前にした「勝仙閣」の素朴な柚子懐石(ゆずかいせき)は、ゆずの香りと色づかいが楽しめ、ゆずの皮の天ぷらや漬け物など珍しいものもあり、料理を堪能することができました。中庭には、ここを訪れた秋篠宮さまが記念植樹されたゆずの木もありました。
ここ青梅市沢井は、中里介山の小説「大菩薩峠」でも「峠を下りて更に12、3里武州御岳山と多摩川を隔てて、向かい合ったところに柚木の良く実る沢井という村があります」とあるように、色づいたゆずの実があちこちに見られます。さらに、ここから近いところに柚木町というところもあり、ゆず好きにはこれ以上はないほどのゆず環境にあります。

関さんは、10年ほど前に本校イラストレーション科を卒業後、広告代理店で広告のイラストを描き、その後フリーとなってのち、本校の夜間講座(イラストレーション講座)を受講しました。その頃に二科展デザイン部にイラストを出品したいとの相談を受け、アドバイスするようになりました。初出品で入選し、すでに9回連続入選しています。3回目の入選を果たしたとき、青梅市芸術文化奨励賞を受け、そのことが新聞に紹介されたことがきっかけとなり、青梅市の広報、地元新聞などからイラストの依頼が来るようになったそうです。青梅宿アートフェスティバル、青梅マラソン、あきるの市とアメリカの姉妹都市5周年記念、吉祥寺のダイヤ街アーケードリニューアル記念など、多くのポスターを手掛けています。青梅を中心に仕事が増えつづけ、青梅赤塚不二夫会館などの観光スポットではポストカードも販売され、地元のテレビやラジオ、イベントへのゲスト出演などイラスト以外にも活動が広がっているようです。 個展会場の「澤乃井ガーデンギャラリー」には、関さんのご両親もいらっしゃいました。キャッチコピーは「夢がいっぱい、メルヘンの世界へようこそ」。作品はキャッチコピーそのままに、はじけるような明るい色づかいと宝船を散りばめたような、あふれんばかりの夢と希望に満ちたポジティブな画面で、関ワールドともいえる独特な世界でした。個展期間中、関さんのイラストをラベルにしたお酒が販売されていました。評判が良ければ引き続き販売されるそうです。こうした地元での活躍は、本人の才能や真面目で誠実な人柄と努力もありますが、奥多摩・青梅の風土や環境、地元の方々やご両親の深い愛に育まれ、支えられ、守られていることを感じました。 帰路につこうとしたとき、関さんのお父さんが青梅という地名の由来となった梅の木がある金剛寺へ案内してくださいました。梅の木はかなりの古木で季節が過ぎても黄熟せず、落実するまで青いため「青梅(あおうめ)」と言われ、ここから青梅という地名になったそうです。植物学的には突然変異のようです。花はまだ2分咲き程度でしたが、その風情は冬の季語である「寒梅」の句で有名な「梅一輪、一輪ほどのあたたかさ」のようでした。

関さんが青梅で個展を開いてくれたおかげで、教師冥利(みょうり)に尽きる豊かな至福の時間を過ごすことができました。私の好きな柚子と梅をも満喫させていただいたことに感謝しつつ、青梅線に乗り都心に戻りました。

2009.2.28

陽あたりの良いところでは1月中旬ごろから梅の花が咲きはじめ、2月に入りいつの間にか満開に近くなり、梅の花の香りがどこからともなく漂ってくるようになっていました。梅は中国から渡来した説と日本列島に元からあったとする説があるそうです。いずれにせよ、香り、色、姿のそろった梅の花は万葉集にも多くうたわれており、立春のくる前に咲く梅の花は、春を告げる花として遠い昔から人々にめでられていたようです。 昨年、本校の元副校長から青梅市観光協会発行の吉野梅郷の絵はがきが送られてきました。それは、冬枯れの山の木々に囲まれた斜面に白梅、紅梅が淡くけむるように咲いていて、まるで花霞(はなかすみ)のような景色に惹かれ、どうしても見たくなり、数日後、青梅に行ってきました。
あのときの梅林もそろそろ咲きはじめる頃だろうか、などと想いをはせているところへ、青梅市在住の地元で活躍している卒業生(イラストレーション科)から個展の案内状が届きました。そこにはイラストレーター「関琴美展」とあり、会場が青梅市沢井「澤乃井ガーデンギャラリー」とありました。「澤乃井」は奥多摩の地酒ですが、私も良く知っているお酒です。梅の花にはまだ早いとは思いながら、祝日(11日)に関さんの個展を見に青梅にでかけました。連絡していたので青梅駅まで関さんが迎えにきてくれたのですが、車を待つ間、駅に並ぶ観光案内所の入口に関さんがデザインした青梅マラソンのポスターが貼られていて、本人と会う前にポスターとうれしい対面をしました。青梅マラソンのポスターは4年ほど前から関さんが手がけているそうです。そのポスターはひと目で関さんのイラストとわかるものでした。
「澤乃井ガーデンギャラリー」は多摩川のほとりの「澤乃井園」という庭園にあります。そこを囲むようにいくつかの食事処(どころ)があることを聞いていたので、その辺りで一緒に昼食をとろうとイメージしていたのですが、関さんが運転する車が着いたのは、看板に「御岳ゆずの里勝仙閣」とある渓流沿いのゆず料理で有名なところでした。私がゆずを好きだということを知っていて予約をしてくれていたようです。ロビーにはここを訪れた著名人の作品と関さんのイラスト作品が常設展示されていてミニ個展のようでした。柚子懐石(ゆずかいせき)をいただきながら地元青梅市での活動、活躍ぶりをゆっくり聞くことができました。その話と「澤乃井ガーデンギャラリー」の個展については次回に触れたいと思います。

2009.2.10

先月は新年会など何かと集まりがありました。出会う人の多くが話題にしていたのは、福田繁雄さんが1月11日に突然亡くなられたことへの驚きでした。 福田さんは言語を超えたユーモアをベースに、だまし絵的な視覚トリックのポスターで国際的に活躍されたグラフィックデザイナーでした。同時に日本グラフィックデザイナー協会会長としてグラフィックデザイン業界の発展にも尽くされていました。(本校も賛助会員として関わらせていただいています。)私も何度か入会を誘われたのですが、入会しないままになってしまいました。 福田さんとは色々な思い出があります。福田さんは数多くの審査員をされていますが、読売ユーモア広告大賞の審査員のときには、私が担当したグラフィックデザイン科の授業で制作した学生の作品が入賞したり、審査委員長をされた読売広告大賞ではビジュアルデザイン科の学生が最優秀賞と優秀賞を受賞したことがありました。
ある地方都市での審査会に私も審査員としてご一緒させていただいた時には、審査を翌日にひかえた主催者側との打ち合わせが終わった後、ホテルでの夕食の席で面白いエピソードを聞くことができました。福田さんは東京芸大の学生だった時、級友と偽名で二科展商業美術部(現デザイン部)に応募して入選したそうです。その頃の芸大では、学生が公募展に出品することを禁じていたため偽名を使ったのだそうです。そして、当時は商業美術部の入選作品は返却してもらえなかったため、作品はともかく木製パネルだけは返して欲しくて、事務局にかけあったのですが拒否され、久我山の東郷青児二科会会長宅に押しかけて直接交渉をしても断られてしまったそうです。帰り際、2階から歌のレッスンをしていた娘の東郷たまみさん(当時ジャズ歌手、現在画家で二科会会員)の歌声が聞えたので、腹イセに窓に小石を投げて帰ってきたことなど、ちゃめっけたっぷりに楽しそうに懐かしそうに話してくれました。当時、木製パネルは市販されておらず、ベニヤ板を買いノコギリで切って木枠を打ちつけて、自分で作っていたので貴重だったわけです。
福田さんが二科展商業美術部に出品した頃、日本グラフィックデザイナー協会の前身である日本宣伝美術会も日宣美展という公募をしていました。福田さんはその後、日宣美展の方に出品を続けていました。私が二科展商業美術部に出品したのは、その10年後ぐらいで日宣美展と二科展商業美術部の両方に出品していました。私は美術団体の二科展の方に魅力を感じて出品を続け、現在二科会デザイン部の代表をしていますが、福田さんが日本グラフィックデザイナー協会会長をされていたことに嬉しいつながりを感じていました。応用美術、商業美術、商業デザイン、グラフィックデザインと変化してきた中、それぞれの時代が求める表現者として戦後のデザインの歴史をつくり、くぐりぬけてきた福田さんたちの世代によって、日本のグラフィックデザインが国際的に高い評価を受けることができていることに感謝をしたいと思います。ご冥福をお祈りいたします。

2009.1.27

在校生の多くが成人式を迎えた12日の成人の日。キモノ姿の新成人と行き交いながら、白金台の東京都庭園美術館に行ってきました。アールデコ様式の旧朝香宮(あさかのみや)邸の庭園美術館が好きで、ほとんどの企画展を見に行っています。この旧朝香宮邸は麻生首相の祖父である吉田茂が首相公邸としてつかい、迎賓館としてもつかわれ、戦後の政治と外交の舞台ともなり、庭園美術館となったわけです。(先月、この近くのフレンチレストランで夜間講座の修了生たちの食事会に呼ばれて、近況を聞きながら創作料理を楽しんできました。)1933年に旧朝香宮邸(庭園美術館)が完成したことから、「1930年・東京」〈アールデコの館(朝香宮邸)が生まれた時代〉が開催されていて、1930年代の絵画、写真、広告デザイン、ファッション、彫刻、工芸、日用品、絵葉書などが展示されていました。モダーンといわれたフランス風装飾美術アールデコが東京の都市生活文化にどのように浸透したかがよくわかりました。
当時の日本は、ニューヨークの株価大暴落による世界恐慌が広がるなど現在に似た世相であったようです。(アメリカのオバマ新大統領も就任前に大不況当時の大統領ルーズベルトを意識した発言をくりかえしていました。)将来への恐れが広がる深刻な時代であったにもかかわらず、通信、交通、出版は栄え大衆文化は隆盛をきわめたようです。このところ話題になっている小説「蟹工船」(かにこうせん)が出版されたのもこのころで、芥川賞、直木賞を創設した菊池寛が大衆文化、娯楽、流行をテーマにした雑誌「モダン日本」を文芸春秋社から創刊したのも1930年でした。菊池寛に頼まれてフランス帰りの新進画家東郷青児がマリーローランサン風の淡い色調でモダンガールを描いた表紙も展示されていて、西田敏行が菊池寛を演じた映画「丘を越えて」を思い出しました。その映画には、忍びよる戦争の気配を感じながらも希望をもって生き、ひとときの享楽を追い求めた時代に「モダン日本」という雑誌を出版した菊池寛の強い思いが表現されていました。女性の社会進出がさかんとなり、和風アールデコ調があふれ、暗雲がせまるなか、華麗な日々を送ろうとした1930年代の人々の気持ちが現代に通じることもあり、アールデコの館(庭園美術館)でより深く、つよく理解することができました。

2009.1.9

寒の入りの5日から仕事始めで、6日から授業が始まりました。学生とともに、われわれ教職員も新しい年への希望と期待を胸に、校内は新たな活気がみなぎっています。
今年は「うしどし」ですが、いただいた年賀状には「牛」ではなく「丑」の字が多く使われていました。これは昔の時刻の名で、1日を12等分し、2時間を一辰刻(いっしんこく)として十二支を配し、丑の刻(うしのこく)は今の午前1時頃から2時間を言うそうです。時代劇などで言う丑三つ刻(うしみつどき)は丑の刻を4等分した三つ刻(みつどき)を言うそうです。アルファベットの最初の文字「A」のルーツも牛の顔の絵文字で、角を生やした牛の顔 ∀ が180度ひっくりかえりAの形になったそうです。
そんなことを思い、調べ、考えながら恒例の新年参拝は本校の地元、鳩森八幡神社へ学生の安全と学園の繁栄を祈願してきました。個人としての初詣は、文京区内の神社数ヶ所を巡り、「牛どし」で気になってい た牛天神北野神社(うしてんじんきたのじんじゃ)にも行ってきました。ここは通称「牛天神」と呼ばれる東京ドームの氏神さまです。境内には、なでると2つの願いが叶えられると言われる岩「ねがい牛」がまつられているのですが、思わず、うっかり3つもお願いしてしまいました。近くに樋口一葉が通った、歌人中島歌子が主宰した「萩の舎」(はぎのや)があったことから中島歌子の歌碑もあります。永井荷風の生家も近く、本校のビジュアルデザイン科グラフィックデザイン科イラストレーション科の学生が校外授業で見学している印刷博物館も近くにあります。普段は特に信仰心もなく過していながら初詣にでかけるのは、神と仏が共存するしなやかでゆったりとした受容と寛容さが、初詣などの年末・年始の行事、しきたり、風習にひそんでいて、それらを思い、触れることで、日本の「和のこころ」を取り戻しているのではないでしょうか。目先の利益にならないコト・モノにも価値をおく非経済合理性こそが和の文化であり、この「和ごころ」が平和の「和」につながっていくことを願っての初詣でした。

2008.12.25

街は、さまざまなイルミネーションで彩られ、光のシャワーがすっかりクリスマスモードになっている中、本校の学生もクリスマスにちなんだいくつかの企画に関わらせていただきました。 ディスプレイデザイン科の学生は、本校のギャラリー「アミ」でクリスマスをテーマにした作品を展示してクリスマスシーズンを飾り、京王井の頭線西永福駅ビル再開発プロジェクトでは駅ビルの美容室「サロン・ド・ユーウ」のクリスマスディスプレイを担当しました。
ビジュアルデザイン科では、ロンドンに本社をもつSWEET-FACTORYの「HAPPY CHRISTMAS」をテーマにしたポスター、プロモーションムービーを制作。クイーンズスクエア横浜店など全国のスウィートファクトリーでポスターがディスプレイされ、映像が放映されました。
グラフィックデザイン科ビジュアルデザイン科イラストレーション科の学生は、イオングループのクリスマスと正月用の電子カード式イオンギフトカードをデザインさせていただきました。100点を越える提出作品の中からクリスマス用3点と正月用2点が選ばれ、採用されて全国のイオングループのギフトカード売場で販売されています。この選考会には私もイオンの方と一緒に加わりました。 ジュエリー・クラフト科(現クラフト・アクセサリー科)では、ジュエリーの会社・エステールからいただいたクリスマスシーズンに向けた課題で、アート性の強い作品的要素と商品としての要素の強いジュエリーデザインを制作。エステール本社で学生がプレゼンテーションを行い、最優秀賞2点と優秀賞3点がきまり、後日本校で表彰式を行っていただきました。 夜間講座のグラフィックデザイン1年コースでは、フレッシュネスバーガーの「GreenChristmas」をテーマにしたアドカード、デスクトップ用壁紙ダウンロード、モバイル限定のフラッシュ待ち受け配信などのデザインをさせていただきました。
このような企業とのコラボレーションは、クライアントの意向をクリエティブワークに反映させ、スケジュール管理やコスト意識、コミュニケーション能力やプレゼンテーション能力などが必要となり、クリエーターとしての実務能力や社会性などを身につける良い機会になります。来年もさまざまな形で社会や業界と関わらせていただきたいと思っています。 (良いお年をお迎えください。)

2008.12.11

イチョウ並木が都内の秋景色を代表する神宮外苑で、毎年開催されている「東京デザイナーズウィーク2008」に行ってきました。内外の企業や学校、各国大使館が参加する、インテリアとプロダクトを中心としたこのイベントは、日本で最もステータスの高いデザイントレードショーと言われています。本校も学生作品展とデザイン産学協同プロジェクトに参加しました。学生作品展では、「触れる」をテーマに、ディスプレイデザイン科インテリアデザイン科グラフィックデザイン科ビジュアルデザイン科の学生が、それぞれ立体、グラフィック、映像などを本校ブースで展示、発表しました。「法に触れる」、「目に触れる」など、それぞれが柔軟な視点と感性で「触れる」を表現していて、次世代のクリエーターとしての魅力を感じました。産学協同プロジェクトでは、日産自動車のプロジェクトチームにディスプレイデザイン科ビジュアルデザイン科の学生が、他校の学生やプロのデザイナーと加わり、「動く」をテーマに、抽象化された不思議な物体が移動と増殖をくり返す新しい動きのフォルムで、インスターレーション作品を発表しました。主張するだけでなく、協調性、コミュニケーション力が必要とされるプロジェクトチームでの体験は、これからさまざまな場面で活されることと思います。
数日後、東京ビックサイトで開催された「LICENSING ASIA2008」に行ってきました。この「ライセンシング・アジア」には、TV、映画、ゲーム、アニメ、キャラクター、ファッション、スポーツ・コーポレートブランド、イラスト、アートなどのライセンスビジネスショーで、国内外の有名ブランドやキャラクターが数多く出品されます。本校もイラストレーション科マンガ科の学生がオリジナルキャラクターを出展しました。有名企業の出展がほとんどの中で、本校の学生作品はその新鮮なオリジナリティで目をひいていました。学生にとっては作品を表現するだけでなく、著作権や商標権などのライセンスビジネスの具体的な活用などを知る良い機会になったと思います。 それぞれのイベントに参加できなかった学生も、各科の校外授業で見学を行いました。世界に向けて発信する企業のクリエーション。プロの表現や若手デザイナー、学生などのフレッシュな感性に触れることができ、これからの作品制作になんらかの形でつながっていってくれるのではないかと期待しているところです。

2008.11.27

先月、本校からほど近い原宿警察署に行ってきました。「全国地域安全運動」の防犯ポスターの表彰式が署長室で行われ、受賞した学生、担当教員と共に私も同行しました。今年も原宿警察署地域安全運動用の防犯ポスターのデザインを本校のグラフィックデザイン科ビジュアルデザイン科の学生が制作しました。最優秀賞、原宿警察署長賞、原宿防犯協会長賞、原宿警察署生活安全課長賞が署長、会長、課長からそれぞれ授与され、理事長賞は私が代理で授与しました。最優秀賞は表参道ヒルズの入口に掲示され、また、KDDIデザイニングスタジオ(Kスタ)の大型マルチビジョン画面でも放映され、広報活動の印刷物に使用されるなどしました。明治神宮会館で行われた「地域安全運動渋谷区民の集い」では全出品作が展示、紹介されました。
安全といえば、クルマ社会の健全な発展をめざす日本自動車会議所から、秋の全国交通安全運動にあわせて「安全で楽しいクルマ」をテーマにした交通安全キャンペーンのポスター原画コンテストへの呼びかけがあり、昨年につづきビジュアルデザイン科グラフィックデザイン科の学生が応募しました。自動車会館で応募作品を掲出し、人気投票を参考に選考された結果、最優秀賞、優秀賞、特別賞といった賞を本校が独占してしまいました。入賞作品はポスターとして、りんかい線の駅に掲示されたり、会報・広報誌の表紙に使われたり、お台場のパレットタウンで展示・紹介されたりしました。 本校は「地域に根ざしたエコ・美化・デザイン」をかかげています。地元原宿警察署とは以前からさまざまな交流があります。20数年前には、現在も使われている原宿警察署のシンボルマークのデザイン。神宮前交番のデザイン、交通安全の看板デザインや原宿地区落書き消去キャンペーンでの壁画イラストレーション制作などです。原宿地区防犯ポスターの最優秀賞のキャッチフレーズは「守ろうよ、わたしの好きな街だから」でした。こうした地域のお役に立てることへの関わりや機会を通じて社会意識の向上につながっていってくれたらと思います。

2008.11.11

淡く、美しい光の中に浮びあがる明治神宮に夜間参拝をしてきました。今年は明治神宮のご社殿が戦災から復興して50年という節目の年にあたることから、明治神宮が初めて特別にライトアップされ10月27日~11月1日まで夜間の参拝ができたわけです。原宿口の大鳥居の脇には「宙の玄関」と題した、本校も参加している1,000個はあろうかという奉祝の提灯(ちょうちん)がオーロラのように誘ってくれ、静寂な闇の中に浮ぶご社殿と能舞台は幽玄な夢幻のごとき光景で、心と体を浄化してくれるようでした。
ご社殿に向かう途中の明治神宮文化館で行われている、御社殿復興50周年記念の特別展「明治神宮知られざる戦後復興の軌跡」の特設会場では、本校のインテリアデザイン科、住宅デザイン科の学生が制作して奉納した、大正期の明治神宮ご社殿(拝殿、中門、本殿)と昭和32年までの仮社殿の復元模型が展示されています。これは大正9年に創建されたご社殿が昭和20年の空襲で災上、消失したあとすぐに仮社殿がつくられ、昭和33年に現在のご社殿がつくられたことから、今ではその姿を見ることができないご社殿と仮社殿の復元模型を本校の学生がつくらせていただいたものです。制作にあたっては、当時の貴重な資料を明治神宮宝物殿からお借りして図面をおこすことから始めて、かつての姿を復元しました。立派に完成して奉納、展示されている模型を見て、大変だった制作の進行プロセスを知っていることもあり、熱心に取組んでくれた学生や指導された先生方に感謝の思いでいっぱいです。 日々変化する刺激的な原宿・表参道とは対照的な、どこまでも静かな明治神宮では本校の入学式・卒業式を神宮会館で行い、式の前日には神楽殿での安全祈願。保護者会やセミナーには参集殿を使わせていただいているなどお世話になっているわけですが、今回このような記念すべきイベントに本校の学生が関わらせていただき、歴史に触れ勉強させていただいたことに改めてお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。 (本校の学生が制作した復元模型は12月14日まで明治神宮文化館特設会場で展示されています。)

2008.10.30

二科展にベトナム現代絵画を特別展示したご縁で、駐日ベトナム大使夫妻がお忙しい中「原宿祭」にご来校くださいました。屋上からの眺望を楽しんでいただいた後、各科の学生作品を見ていただきましたが、特にエコをテーマにした作品に関心をもたれていました。インテリアデザイン科と住宅デザイン科のベトナムからの留学生3名の内2名が会場にいて、大使ご夫妻に自分の作品の説明をしたり、ベトナムの話題を楽しそうに交わしたりして、会話がはずんでいました。留学生にとって貴重で有意義な思い出深い時間になったことと思います。1時間の予定をはるかに超えるほど熱心に見ていただきました。
先月中旬には代々木公園イベント広場で行われた、日本ベトナム外交関係樹立35周年記念の「ベトナムフェスティバル2008」の開会式にベトナム大使館から招待され、出席してきました。皇太子殿下がご臨席され、安田祥子・由紀さおり姉妹とベトナムを代表する歌姫といわれるミー・リンさんによる日本とベトナムの国歌から始まった開会式は、国内最大のベトナムイベントであることが実感できるプログラムでした。開会式終了後のステージでは、日本とベトナムのビックアーティストによる華やかなパフォーマンスが展開され、ステージの外ではベトナムの飲食ブースや食材、雑貨、民芸品を扱う物販ブース、ベトナム文化やビジネス、観光を紹介するブースなどがあり楽しませていただきました。手先が器用で勤勉な国民性のベトナムは最近、観光やビジネスなどで注目されていますが、フランスの香りとアジアの文化の融合する「麗しの国」と言われているベトナムにしばし思いを馳せているこの頃です。

2008.10.16

神宮の森の梢をわたってくる風に秋の気配を感じる10月10日~12日の3日間、本校の学園祭「2008原宿祭」が開催されました。各科の授業での作品や課外活動を紹介する展示などの他、学生たちが自主的に企画・運営するさまざまなイベントがあり、「原宿祭」中は学校が別空間に生まれ変わっていました。
メインテーマイベントの「エコ・キャップ・ハート」は、ペットボトルのキャップをリサイクル資源として活用し、その売却益をJCV(世界の子供にワクチンを日本委員会)に寄付することによって感染症から救おうというものですが、これはゴミとして焼却されCO2の発生源となるキャップを校内で回収して、ワクチンとして活かしたいという学生の提案から始まりました。「ECO CAP HEART」のインスタレーション空間は、ペットボトルの底を切りとって制作した作品で演出され、日頃、学生・教職員がストックしておいたペットボトルのキャップと会期中に持ち寄ったキャップを吊るしたり、会場に敷いたりして、その空間を彩りました。目標は10,000個でしたが、20,000個以上集まり(もちろん私もキャップを持参しました)、最終日にキャップをリサイクルしているECO CAP MATEの代表に引き渡しました。提案してくれた学生は1年生のとき、ボランティア活動をしたいのでサポートして欲しいと校長室に訪ねてきてくれました。このような形につながって、うれしく思います。こうしたことこそ、人と人の心をつなぐデザインのコミュニケーションではないかと、気持ちの良い、心豊かな学園祭となりました。
多くの方にお越しいただいた「原宿祭」ですが、駐日ベトナム大使夫妻がお忙しい中ご来校くださいました。このことについては次回触れたいと思います。

2008.9.30

第93回二科展が9月3日~15日まで、六本木の国立新美術館で開催されました。
3日のオープニングに際し、多くの報道陣、入場を待つ人々が見守る中、織田廣喜二科会理事長、小山由寿彫刻部代表、大竹省二写真部代表、今村昭秀デザイン部代表、林田英樹国立新美術館館長、レー・ティウ・ガン在京ベトナム大使夫人によるテープカットが執り行われました。大使夫人がテープカットに出席されたのは、日本ベトナム外交関係樹立35周年記念として、ベトナムの現代絵画を特別展示したことによります。この特別展示は、ベトナムにジュエリー加工場をもつ会社の賛助を得て、私がベトナム大使館、外務省などと折衝を行い、協力していただいて実現することができました。
テープカットを終え、大使夫人を案内して会場を巡りました。大作の多い絵画部作品を鑑賞しながら、ベトナム現代絵画の展示室に案内しました。展示作家はベトナム美術協会所属の画家で、ベトナムだけでなく、国際的に活躍されている方々です。私も会員になっているフランスのサロン・ドートンヌ展にも出品しており、その作品は、フランスの長い統治があったことから、フランスの油彩画の影響があり、民族的な伝統とフランス的エスプリが融合していて、不思議な魅力を放っていました。(ベトナム美術協会は絵画・彫刻・デザイン部があり、二科展の構成に似ています。’06年ハノイでの協会展に、私と仲間のポスター作品を招待展示してくれた縁があります。)大使夫人はベトナムと日本の文化の相違点などを絵画部会員と談笑されながら、彫刻会場へ移られて、動物の木彫作品に手で触れて感触を楽しまれていました。写真会場では、日本の風景、風習などの写真に興味をもたれ、随行の方と楽しそうに話をされていました。デザイン部の会場では、私のポスター作品や本校在校生・卒業生の受賞・入選作品を見ていただきました。入選した在校生がたまたま2人来ていて、大使夫人に自分の作品の説明をしたり、一緒に写真を撮ったりして、偶然の出会いを喜んでいました。
同日、午後6時より東京ミッドタウンのザ・リッツ・カールトンで行われた、恒例の絵画部・彫刻部の懇親パーティに、今年も招待され出席しました。パーティ会場では、多くの絵画部会員から、ベトナム現代絵画の特別展示について、感謝の言葉をかけられました。 翌4日朝10時、天皇、皇后両陛下が二科展をご観賞のため、来館されました。私も各代表とお出迎え、お見送りをさせていただきました。天皇陛下は、20代の皇太子時代から二科展にこられ、ご結婚されてからは、お2人でほぼ1年おきにご観賞いただいております。40数年の長きにわたり二科展に足を運んでいただき、うれしく、ありがたく、会員一同、感謝の気持ちでいっぱいです。 11日の午後、大使夫人がグエン・フー・ビン駐日大使を伴ってご夫妻でお見えになり、ご案内させていただきました。私がベトナム大使館に伺ったとき、大使は会期中に必ず見に行くとの約束をしてくれたのですが、「日本ベトナム外交関係樹立35周年記念ベトナムフェスティバル」の実行委員長としてご多忙の中、外交官としての約束を果たしてくれたとはいえ、温かいお人柄を感じました。ご夫妻は国立新美術館に来られたのは二科展が初めてとのことで、楽しそうにリラックスされていたので、忙中閑のお役に立てたのではないかと思っています。また、国境を軽々と超える文化交流で、ささやかですが民間外交にも貢献できたのではないかと自負しているところです。

2008.9.16

NHKアニメ館2008」が開催されていた先月中旬。NHKみんなの広場・ふれあいホールに行ってきました。海外で話題の「どうもTVシリーズ」のアニメ撮影のセットや小道具などの展示。オンエア中の「アリソンとリリア」(NHK BS2)、「テレパシー少女蘭」(NHK教育)など、アニメシアターでの上映。10月より放送予定の「タイタニア」の原作者、監督、声優によるトークショー。若者に人気のアニメ番組を集めたイベントが盛りだくさんの中、ふれあいギャラリー内のアニメギャラリーでは、都内の大学、専門学校3校が参加して、アニメーションを学ぶ学生から見た「アニメの魅力再発見」というコーナーがありました。本校は「原宿学園 東京デザイン専門学校アニメーション科<アニメーションのきほんの“き”>」というタイトルで、学生が制作した背景美術などのパネル展示と、アニメ作品を上映しました。学生らしい新鮮で斬新な感性が伝わってきました。そのイマジネーションの豊かさは、これからの活躍を予兆させてくれるものでした。こうした機会は学生にとってよき刺激となり、モチベーションも高まり、これからの作品制作にフィードバックされるものと思います。
ここのところ、美術館でアニメ・マンガに関連する展覧会が開催されることが多くなり、内外のメディアにもアニメ・マンガに関連するものが目立っています。日本のマンガやアニメを見て育った中国の若者たちが、東京で開かれるマンガの祭典、コミックマーケットに自分たちの作品を出品するようになったり、今年のベネチア映画祭では、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」と押井監督の「スカイ・クロラ」が出品上映されたりしています。「小さなポニョが欧州とアジア、世界をつないだ」とイタリアの主要紙が称賛したそうです。東京都現代美術館では「スタジオジブリレイアウト展」が開かれ、「崖の上のポニョ」までのレイアウト約1,300点が展示されており、アニメーション科の学生も課外授業で見学してきました。
豊かな多様性と進化を誇る日本のマンガやアニメが、日本の代表的な大衆文化として取り上げられるようになってきていることは、本校のアニメーション科マンガ科の可能性が限りなくひろがることでもあり、楽しみになってきました。

2008.8.22

先月中旬、本校卒業生の校友会総会と懇親会が新宿ワシントンホテルで行われ、240名が出席しました。3年ぶりの懇親会で、前回も同じ会場でした。今年が本校創立42年、校友会ができて12年目にあたり、卒業生は20,000名を超えるまでになりました。校友会の設立に尽力され12年の長きにわたり、校友会会長をつとめていただいた沖島徹哉会長が退任され、鈴木保副会長が新会長となりました。沖島さんは建築士科(現インテリアデザイン科)、鈴木さんはディスプレイデザイン科を卒業されていますが、当時の校名は「東京デザインアカデミー」でした。(沖島さんの娘さんも、夜間講座の私の教え子です。)私が本校教員になったのが1981年で、その頃は土曜日も平常授業があり、私は非常勤講師として、その土曜日にグラフィックデザイン科の授業を担当していました。その後、出校日も増え、イラストレーション科、CG科も教えるなど、多くの学生と接し、悲喜こもごもの数多くのエピソードや、ドラマのあっという間の20数年でした。懇親パーティ会場では、そうしたエピソードの主である卒業生たちとの久し振りの再会で、それぞれのエピソードが懐かしく思い出され、時間がオーバーしてもその語らいは尽きることなく続きそうでした。 後日、パーティ出席の卒業生が一緒に撮った写真をメールで送ってくれましたが、メールは「ヨネ校長へ」となっていました。テレビで「隣の晩ごはん」という番組が放映されていた頃の学生で、ヨネスケさんに似ているとかで、ヨネちゃん、ヨネ、ヨネスケなどと呼ばれていました。写真を眺めながら当時の教室の様子が鮮やかに甦ってきました。
卒業制作展や原宿祭の時にも、ミニOB会をやっていますので、見学後、気軽に出席して欲しいと思います。学校と校友会(卒業生)は表裏一体で、在校生、保護者、教職員、卒業生がそれぞれ連携して、共振するコミュニケーションがあってこそ、良い学校といえるのでがないかと思います。これから、ますます、校友会(卒業生)の皆さんとコミュニケーションをより良くしていかなければ、と強く思った校友会への出席でした。

2008.7.29

今月中旬まで、原宿の竹下通りと明治通りの「交差点」にあるKDDIデザイニングスタジオ(KDDIのコミュニケーション施設)の2Fから3Fへのスロープ沿いスペースに、本校夜間講座の作品が展示されました。これは3月に修了したグラフィックデザイン1年コースの特別授業で、KDDIデザイニングスタジオ(Kスタ)と東京デザイン専門学校がコラボレーションした、Kスタのアドカード(PRポストカード)をデザインしたものです。このクラスは私も授業を担当しており、Kスタでのオリエンテーションとプレゼンテーションには受講生を引率して参加しました。オリエンテーションは、館長さんやスタッフの方からKスタの説明を受けて、館内の見学をしたのですが、同スタジオは「コミュニケーションの楽しさや感動をみんなでいっしょにデザインできるスタジオ」をコンセプトにしていて、体験型のさまざまなスペースがあり、受講生は、それらに楽しく興じながらのオリエンテーションでした。
完成した作品のプレゼンテーションは、アーティストのライブや公開収録などのイベントが開かれる1Fのステージで行いました。今回は人気キャラクター“リスモ”をデザインした佐野研二郎氏と電通のアートディレクターとして活躍されている神原秀夫氏にゲスト審査員として参加していただきました。お2人のゲスト審査員とKスタのスタッフの方を前にしてのプレゼンは、緊張してうまくできないのではないかと心配していたのですが、意外に落ち着いていて、ほっとしました。ゲスト審査員は、ときに温かくユーモアを交え、ときに鋭くきびしいコメントを下さり、受講生にとって、貴重で、有意義な充実した時間でした。プレゼン作品の中から選考された4点が印刷され、Kスタや、原宿、表参道の多くのショップに置かれています。改めて、Kスタ、ゲスト審査員の佐野、神原両氏にお礼申し上げます。ありがとうございました。このコラボレーション作品展は、東京デザイン専門学校とKDDIデザイニングスタジオの「交差展」といえるのではないかと思います。

2008.7.15

さる6月21日夏至の夜。表参道のキャンドルナイト「OMOTESANDO-Eco Avenue 2008夏至」に、本校の広告研究同好会(ビジュアルデザイン科グラフィックデザイン科アニメーション科)の学生がボランティア参加しました。これは、温暖化による環境や省エネなど、現代社会のライフスタイルについて考え直し、人間本来の時間のありかたを見つめ直すきっかけにしようというイベントで環境NGOが発案したものです。「100万人のキャンドルナイト」と名づけられ、全国各地で東京タワー、明石海峡大橋などの主要施設がライトダウンされたり、「電気を消して、スローな夜を」とキャンドルをつかった消灯イベントが行われたりしました。
表参道では「ダイアログ-闇で対話・あかり対話」をテーマに、表参道ヒルズの長さ250mのLED<ブライトアップウォール>が消灯されたのをはじめ、表参道や周辺の建物が消灯されました。そして、忙しい日常の中で忘れかけている対話(ダイアログ)を表参道でとり戻してほしいという願いをこめた、キャンドルを使ったさまざまなインスタレーションがあり、周辺カフェや表参道沿いに集まったオリジナル行灯(あんどん)やキャンドルにあかりが灯されました。 本校の学生はキャンドルネットワークとしてコーヒーキャンドルの制作や、キャンドルパレードに参加しました。本校には、クリエイターとして必要な、エコへの関心を高め、啓発するための「エコカリキュラム」があります。その実践ともなるこうしたイベントに自発的に参加する学生が増えてきたことは、日常の授業や学校生活の中でエコへの関心を高めてきてくれている結果ではないかとうれしくよろこんでいるところです。(本校が「地域に根ざしたエコ・美化・デザイン」というテーマをかかげ、デザイン提案や清掃などを行っていることが評価され、先日、原宿地区美化推進委員会より「美化推進功労者」として表彰されました。)

2008.6.30

先日まで、本校ギャラリー<アミ>で、「OACクリボラ展2008」のポスター作品が展示されていました。これはOAC(日本広告制作協会)が主催し、ユニセフが共催するボランティア活動(CREATIVE VOLUNTEER)で、OAC加盟の制作会社に所属するデザイナーと会員校の学校が出品参加しているものです。本校も会員であり、ビジュアルデザイン科の学生が出品しました。テーマは前回と同じ「世界の子どもたちを守れ、HIV/エイズから守れ」。少しアドバイスさせていただいたこともあり、恥ずかしながら私の名前もクリエイティブディレクターとして表記されています。私は以前、仲間と日本ユニセフ協会の後援で「世界の子供たちの未来のために」をテーマにしたポスター展(テプコ銀座館)をやったり、「世界エイズデー」(厚生省、日本エイズ予防財団)のポスター制作でHIV(エイズウィルス)への関心の高揚や、啓発、啓蒙するお手伝いをしたことがありましたので、クリエイティブボランティアに少しでも関わることができて、うれしく、ありがたく思っています。
さる3月に「OACクリボラ展2008」のオープニングセレモニーとレセプションパーティが国連大学本部ビルであり、ご案内をいただき、出席してきました。ポスター作品も国連大学<UNギャラリー>で展示されていて、本校在校生の作品や卒業生がプロのデザイナーとして出品した作品など全出品作をゆっくり見て回りました。オープニングセレモニーでは、華道家の假屋崎省吾氏の生花パフォーマンスが行われており、タレントの山田邦子氏、国連広報センター所長の幸田シャーミン氏(最近辞任されたとの報道がありました。)などゲストのアイサツがあり、各賞の授与式が始まりました。本校の卒業生も日本アドバイザー協会優秀賞を受賞しました。この卒業生は、2006年の前回展でも在学中(ビジュアルデザイン科)に学校部門で、ユニセフ協会大使を務める歌手のアグネス・チャンさんが自ら選んだ、日本ユニセフ協会大使賞を受けています。学生のときと、卒業してプロとなって出品した作品が連続受賞するという快挙に、うれしく、祝福の拍手を送り、本人にも直接、お祝いの言葉をかけました。このような場に、誇らしく立会えたことの喜びに浸りながら、レセプションパーティでは、心が満つる豊かな時間を過ごさせていただきました。

2008.6.9

いにしえの森の精気につつまれた春日大社の神域の、豊かで美しい緑のなか、朱色があざやかに映える春日造の神殿を前にして、20年ほど前のことが思い出されました。
所属する会の総会が奈良で行われたとき、春日大社の宮司さん(花山院親忠)の娘さんが会の仲間にいたこともあり、皆で春日大社を訪れました。その折、数人の方がわざわざ雅びな衣装で雅楽を奏じて迎えてくださり、一同、大いに感動、感激しました。
数年前、新聞で、花山院親忠宮司が亡くなられたことを知りました。現在の宮司さんはどなたか伺ったところ、息子さんの花山院弘匡さんが就任されたばかりとのことでした。平城京の守護神として創建された春日大社のご祭神(鹿島大明神)は、鹿が神使とされている鹿島神宮から白い神鹿の背にのせられ、多くの鹿をひきつれてやってきたと伝えられていることから、春日大社でも鹿が神使とされています。(鹿島アントラーズのチーム名の由来も、英語で鹿の角をアントラー(antler)というところからきているようです。)この辺りのことについては、古都奈良を舞台に古代史もとりこんで、時空を超えて展開する小説「鹿男あをによし」にも書かれています。テレビドラマ化されたのも見ていたので、奈良の女子高に赴任する鹿島出身の教師、現代版「坊ちゃん」ともいえる主人公の「鹿男」がくりひろげる物語の情景・風景が、あちこちで重なり、夢うつつに甦りました。奈良の女子高出身の在校生の顔も浮かんだりして、私も「鹿男」になりそうな不思議な感覚におそわれました。
今まで、何度か訪れている古都奈良ですが、若いころにはあまり関心・興味がなかったところなども、今回は五感で楽しめ、豊かで、濃い時間を過ごすことができました。(帰京してから、鹿つながりで鹿の字が気になり、「岡鹿之助展」(ブリジストン美術館)を見に行ってきました。)

2008.5.28

奈良での最終日。ホテルに面した、古都奈良のメインストリートである、平城京の三条大路に由来する「三条通」を進み、猿沢の池に出て、興福寺に向かいました。北円堂が特別に開かれ、普段は一般公開されていない運慶の晩年の代表作、弥勒如来坐像などを拝観することができました。(運慶といえば、ニューヨークのオークションで高値で落札され話題になりましたが、運慶作といわれる仏像は、足利市の廃寺から運慶作とは知られず転々としていたようです。)国宝館では、多くの国宝、重文の仏像を拝観しました。それぞれの、崇高で繊細な優美さ。荘厳で端麗。漂う気品。慈悲深い表情などに、心が優しく包まれるようでした。千手観音像と阿修羅像がとくに印象に残りました。阿修羅像の顔が、若くして亡くなった女優の夏目雅子さんに似ていると聞いたことがありましたが、本当に似ていたのには驚きました。
奈良公園を抜けて、東大寺西大門跡にある吉野本葛本極堂で葛料理の昼食をとり、東大寺に向かいました。木造建築としては世界最大の大仏殿では、聖武天皇慶賛法要が行われており、武衆、稚児の長い行列が市中から着き、舞楽なども奉納されていて、平城絵巻を見ているようでした。立てば30メートルはあろうかといわれている大仏も、その賑わいにとまどっているかのように見えました。 その後、鹿が戯れ、遊ぶ姿を眺めつつ「春日大社」へと歩きましたが、その話は次回に触れたいと思います。
(本校内ギャラリー「アミ」では、型染版画「伊藤紘」展が開かれており、日光菩薩など薬師寺をテーマにした作品が6月9日まで展示されています。)

2008.5.15

東京国立博物館で開催されている「国宝薬師寺」展。寺外では初公開となる日光・月光菩薩を見たことで、急に思いたち、連休は古都奈良、斑鳩の里、飛鳥路(明日香村)を散策してきました。 奈良に着いた日、さっそく斑鳩(いかるが)へ足をのばし、薬師寺に行きました。薬師三尊像は薬師如来(座像)を中央に、右に日光、左に月光菩薩が並んでいますが、日光・月光の2体は東京で展示されているため、あるべきものがない珍しい空間を見ることができました。東京で見た日光・月光菩薩は特別に光背がはずされていたため、360度から微妙な動きを見ることができ、その表情豊かな美しい立像に魅了され、静かで深い安らぎを得ることができました。 聖徳太子ゆかりの地でもあり、今なお多くの太子の面影をのこし、世界最古の木造建築や五重塔で知られる法隆寺(別名斑鳩寺)では、わが国を代表する仏像のひとつである百済観音像や、夢殿では聖徳太子の等身と伝えられる観音像が特別に公開されていて、その秘仏を見ることができました。(後日、来日していた中国の胡主席が法隆寺を訪れているところが報道されていました。) 2010年の藤原京から平城京への遷都1300年にあたり、あちこちで記念のイベントが行われている中、平城宮跡の朱雀門などを見て回り、歴史とロマンに思いを馳せ、心地よい余韻に浸りながら奈良のホテルに戻りました。

翌日は朝早く出て、万葉の時代、大和三山に囲まれた藤原京であった地を訪ねました。まず、畝傍山(うねびやま)に抱かれた橿原神宮、神武天皇陵に行きましたが、その優しい神気に包まれた深遠な静けさは、神話と万葉の世界へタイムスリップしたかのようでした。県立考古学博物館で大和の埴輪を見て、飛鳥へ行き、明日香周遊バス(赤かめ)で古代史のロマンが残る明日香村を巡りました。のどかでおだやかな田園風景の中をゆったり歩きながら、日本最古の飛鳥大仏(開眼1400年)のある飛鳥寺、蘇我入鹿首塚、県立万葉文化館を見て、昼食を民族資料館の中にある古代食を出す「酒船亭」でとり、酒船石遺跡へと回りました。酒船石については諸説あり、清酒の醸造施設という説や、松本清張によればゾロアスター教で使う酒の調合器説というのもあります。手塚治虫はマンガ「3つ目がとおる」でナスカの地上絵との共通性を見て、宇宙人の作品としていて興味が尽きません。 古代文化の開かれた飛鳥の地に伝わる不思議な形の石造物として代表的な石舞台古墳についたころには雨が降りだしました。雨にけむる幻想的な石舞台は蘇我馬子の墓と推定されていますが、自然石を組み合わせた構造物は、雨のなか悠久の歴史が見えかくれし、古代の謎や神秘、ロマンを蘇らせてくれるようでした。このとき、「蘇る(よみがえる)」と「蘇我馬子の蘇」と飛鳥の地でつくられた古代チーズ「蘇」が同じ字であることに気づきました。それがどうしたといわれる程度のことですが、ささやかに小さな声をあげてしまいました。
人、物、歴史、物語を運び育んだ斑鳩・飛鳥路は一木一草に神仏の宿りを感じ、日本社会の現在と古代がつながっていることを改めて教えてくれました。飛鳥や古都奈良を舞台に古代と現代が不気味に交響する松本清張の「古代史擬」、「邪馬台国私説古風土記」や小説を久し振りに読みかえしてみたくなりました。

2008.4.28

本校から望む、明治神宮の木々の緑が春の日ざしに映えるなか、新学期が始まり、新入生、在校生の心はずませる姿に、学校は一気に活気が戻ってきました。この時期は、留学生懇親会やフレッシュマン・レクリエーション、健康診断といったオリエンテーション期間となります。

留学生懇親会では会場のイベントホールに、中国、韓国、台湾、タイ、ベトナム、スリランカ、フィリピン、ペルー、アメリカ、ポルトガルなど各国の留学生と教職員が集いました。私も歓迎の挨拶とともにパーティーに参加しましたが、在校生からの体験談やアドバイスなどもあり、なごやかで楽しい交流のひと時を過ごしました。 日本の入学時期は4月ですが、諸外国では国によってさまざまで、中国は9月、タイは5月、フィリピンは6月、オーストラリアは1月のようです。アメリカやヨーロッパの国々は9月がスタートで、世界の国々の半分ぐらいが9月入学のようです。そういえば、本校の卒業生も留学支援制度を利用して、提携校であるイギリスのUCCA国立芸術総合大学に9月に入学しました。 日本でも明治の学制が発布された時は9月入学だったそうです。これは欧米の外国人教員を迎えたことが原因だったようですが、その後、国の会計年度が4月になり、補助金などの事務処理に都合が良いため4月としたようです。 入学の時期が国によって異なるように、文化、環境、習慣の違いから留学生の皆さんは様々な悩みごとを抱えます。これに対応するため、本校では留学生サポート室を設けました。気軽に利用して欲しいと思っています。

その数日後、全新入生が参加するフレッシュマン・レクリエーションに行ってきました。これは新入生同士、あるいは教職員と学生がコミュニケーションを図り、これからの学園生活をより良いものにすることを目的に実施しています。当日は強い風と豪雨という悪天候のため交通機関の乱れもあり、学生の集まりが悪いのではと心配したのですが、出席率もよく、今年の新入生の意志の強さにたのもしさを覚えました。バス11台を連ねて、相模湖ピクニックランドでのデーキャンプ(ダッチオーブンでピザとコーンスープ作り)でしたが、雨と風のため屋外ではなく、屋根つきの狭いスペースで行われました。火をおこすのも大変で、中は煙が充満し、悪戦苦闘しながらピザ作りに興じていました。私も学生が作ったピザをいくつか食べさせてもらいました。ピザの裏は真黒く、のりをぴったりくっつけたように見事にコゲていましたが、ホロにがい味も、ありがたく、おいしくいただきました。雨と風のなかでのピザ作りはより印象の強い、思い出の1日になったと思います。新緑が萌えるこの季節、天気が良ければ、緑の競演が楽しめたのに、と残念に思いましたが、数羽のウグイスがあまりうまくない鳴き声のほほえましい競演を聞かせてくれていました。

今年の新入生は、入学式も雨になり気の毒でしたが、これから成長していくためのありがたい恵みの雨だったと思うことにしました。

2008.4.15

出会いと別れの季節でもあり、心華やぐ春びより。本校の卒業制作展と卒業式入学式を無事終えることができました。
学校の日常にはこのような多くの節目があります。その中でも大きな節目のひとつである卒業制作展では、それぞれの専門分野で学んだ集大成の力作に、2年あるいは3年で、よくぞここまで、と思わせる完成度の高さに感動すら覚えました。グラフィックデザイン科インテリアデザイン科ジュエリー・クラフト科(平成21年度よりクラフト・アクセサリー科)の学生が学科を越えて、企画、協力、融合したコラボレーション作品もうれしく見させていただきました。 明治神宮会館で行う卒業式入学式の前日には、毎回、明治神宮神樂殿に出向いています。神楽舞、舞楽を奉納する厳粛な空気が張りつめる中、式の安全祈願を行っています。">卒業式は大きな世間・社会にふみだす新たな門出、出発の日ですが、今年の卒業生は、私が校長となった最初の入学式で式辞を述べて迎えた学生たちだったこともあり、感慨深いものでした。
入学式は希望や期待と不安が入り混じる表情のなか行われ、保護者の方も多数参列され、喜びを共にされていました。式のあと、学生はその場でガイダンスがあり、保護者の方々には明治神宮参集殿に移っていただき、本校を理解していただくための保護者会を行いました。教育目標や教育方針、年間スケジュールなど学校生活について説明させていただきました。良い学校には、在校生、保護者、卒業生、教職員が有機的に連携、連動して、共振するコミュニケーションがあります。保護者の方々にもできるだけ本校のイベントにご参加いただき、折にふれてご意見をいただけるようにお願いをしました。多くの熱心な保護者の方々に出席していただき、我々教職員は保護者や新入生の期待を裏切らぬよう、心して取り組まねば、と改めて気を引きしめる思いでした。

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