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今村昭秀学校長のコラム

(イラスト:マンガ科 小日向一葉)
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2020.6.29 New!

梅雨入りする前や、このところの梅雨の晴れ間の早朝、湯河原駅ホームのベンチで電車を待つ間、青葉の木々の中から静けさを破る野鳥の鳴き声が聞こえ、そんな鳥たちのさえずりから、ひときわはっきり聞こえるのは、軽(かろ)やかでおっとりとしたウグイスと、リズミカルで甲高(かんだか)い鳴き声のホトトギスのデュエットです。こうした鳥たちのにぎやかな鳴き声に、授業を再開した校舎に集う学生たちが、会話自粛のなか、おさえきれないオシャベリを交わしている姿が思い浮かび、そんな学生たちに想いをはせながら過すのは、えもいえぬ心豊かで至福(しふく)のひとときです。
ホトトギスはウグイスなど他の鳥の巣に卵を産み育てさせる、托卵(たくらん)という習性があり、ちゃっかりしているのか、図々しいのか、まさに育児放棄(いくじほうき)です。そんなホトトギスと知ってか知らずか、一緒に鳴いているお人好(おひとよ)しの、ではなく、お鳥好(おとりよ)し?のウグイスが愛(いと)おしくなります。
この梅雨どきは、じめじめした湿気の多い気候ですが、「日本文化というのは、つまるところ梅雨の文化だと思う」と、詩人の長田弘さんが「歳時記考」で、「1年ほど欧米に滞在して6月に帰国したとき、空港でまず感じたのは掌(てのひら)が湿ることだった、握手するのも肩を抱くのも乾燥した国のあいさつの形式であり、梅雨の文化は離れてお辞儀する流儀を生んだ」。と記(しる)しています。日本がヨーロッパやアメリカなどに比べて新型コロナウィルスの感染者、死亡者が少ないのは、ハグをしない、握手をしないなど体をあまり接触しない習慣や、マスクをする、手を洗う、靴をぬぐ、などの衛生意識が高いことも一因(いちいん)ではないか、などとも言われています。
梅雨と湿気で思い出すのは、かなり前になりますが、梅雨どきの6月、打合せのため来日したフランスのアートディーラーと、東京の街を歩いていたとき、あれはなんだ、と興味を示したのは腐食(ふしょく)した鉄の錆(さび)でした。美しい!!と興奮して写真を撮りまくっていました。乾燥しているフランスではこんなに錆びることはなく、新鮮だったようです。言われてみれば、あたり前に見ていた錆もそれぞれ美しく、湿気が生んだアート作品ともいえ、錆を見るとつい引き寄せられてしまいます。
さびといえば、日本特有の美意識に「侘(わ)び」「寂(さ)び」があります。人の世の儚(はかな)さや無常(むじょう)であることを美しいと感じる美意識ですが、もともとは「思うことがかなわず悲しみ、思いわずらうこと」という意味が、室町時代ごろから、金銭や物品が著(いち)じるしく不足して苦しくなるなどの失意や窮乏(きゅうぼう)など、自分の思い通りにならない状態を受け入れ、置かれている状況を悲観することなく、むしろそれを楽しもうとする肯定的な意味をもつようになったのだそうです。
侘び寂びの精神性が目に見える形になっているものに、茶の湯での小さな茶室や禅寺の枯山水の庭などがあります。新型コロナが心まで感染しているかの、現在の社会環境ですが、こんなときこそ侘び寂びの精神性に目を向けるのも、ありではないでしょうか。
私は頭が「わび」しく「さび」ついていますから、身をもって日本の美意識を体現しています。
 

2020.6.12

丸々と青く実った梅の実が、収穫期を迎え、梅雨の季節でもある6月に入った1日、やっと二転三転した再開をすることができました。初日は学担によるガイダンスでしたが、始まる前の打合せで、長い休校により、心身共に疲弊(ひへい)しているであろう、学生への対応についてお願いをしました。
<長い休校明けの、今までとは異なる分散登校、分散授業になるわけですから、とくに新入生は初登校、慣らし登校であり、助走期間です。すでに電話での聞きとりによって学生の現状、健康状態、環境などを把握していることと思いますが、直接面談によってそれらをより詳しく知り、悩みなども受けとめてあげ、受容し理解し共有してあげることで、学校が安心できる場所であることが伝わるよう、寛容さをもって接してください。ネガティブな空気が漂っているなかですが、先行き期待や希望につながるような言動も心がけてください>。というようなことでした。
その初日の朝と午後「入学・進級おめでとう」と掲(かか)げられた大きな文字と、お祝いの花と共に私も登校してくる学生に声をかけ迎えました。検温もしたのですが体調不良の学生はいなく、欠席者も心配していたほどではなく、ほっとしました。ガイダンス、個人面談などがあり、4日から授業が始まり、長い間の休校で無機的であった校舎も学生が登校したことで、生き活きと有機的な空間になり、やっと学校らしさが戻ってきました。学生がいるのが当り前のそんなありふれた普通の日、こんな日常が続くことがどんなに貴(とおと)く幸せであるか、ということを改めて思わせられる日々です。
令和も2年になりました。令和という元号の出典になったのは、万葉集の「梅花の宴」の序文ですが、これが書かれたのは天平2年で、この天平期は天下太平(てんかたいへい)どころか、今と同じ疫病(えきびょう)の時代で、時の権力者であった藤原氏の子供も疫病で亡くなるなど、貴族や農民にも広がり、人々が飢え苦しむことを憂(うれ)いだ聖武天皇が、平安を祈って建立(こんりゅう)したのが奈良の大仏で、万葉集にもそうした疫病を鬼病と表現したものがあるそうです。
万葉学者の中西進さんが、<人間の顔には目があり、鼻、耳がありますね。これを「め」「はな」「みみ」とひらがなでよく見ると植物と同じですね。芽が出て、花を咲かせ、実がなる。「み」が2つで耳ですね。息をする鼻は、生きることの根源で、植物も花を咲かせ、命をつなぐ。「さいわい」とは、花が咲くの「さき」という状態が這(は)うように続く「さきはた」が変化したもので、自然と人間は一体だったのです>。と言っています。
いま、その鼻はマスクで覆(おお)われ、息苦しい状態ですが、マスクを必要としない日常が戻ることを祈るばかりです。思い悩んだり、心配したりすることを憂(うれ)うと言いますが、「人」に「憂う」と書くと優(やさ)しい、になります。人の憂いに感じる心が優しさにつながるのではないでしょうか。令和の精神は、寛容の心で人々が和(なご)やかに暮らす。ということですから、本校の教職員には森羅万象(しんらばんしょう)への眼差(まなざ)しのみならず、その優しさを学生に向けて欲しい、との思いです。

2020.5.29

日に日に新緑の若葉青葉が濃く深くなり、陽に映えて、まぶしいほどに輝きを増しているこの若葉青葉が、私には本校の新入生、在校生の姿に重なってしまいます。本来なら若者ならではの人生の春、みずみずしい青春の輝きに満ちているべきときに、新型コロナウィルス感染拡大防止のためとはいえ、長い間、先行きの見えない忍耐を強いられ、心がすり減らされているであろう学生たちを思うとなんともやりきれないのですが、やっとおぼろげに光が見えてきました。
緊急事態宣言が解除されたことで、6月1日から再開することになりました。当然のことながらコロナ感染拡大を防止するため、3密をさける分散登校、分散授業、マスク着用、検温、換気、消毒他の対策をすることが前提の再開となります。やむをえないとはいえ、各行事の中止や夏休み期間が短かくなるなどもあり、学生には申し訳ないのですが、まずは助走期間としてガイダンス、個別面談などを行い、学生の健康状態、生活環境などを把握(はあく)して、いままで以上に個別対応、個別指導を心がけたいと思います。とくに新入生は初登校になるわけですから、慣らし登校期間として温く迎えたいと思います。
5月の薫風と共に私にとっての風物詩である痛風が、忘れてはいませんよ、とばかりにやってきました。毎年夏になると早かれ遅かれやってくる痛風は、同居しているのにふだんは遠い存在で、あたかも遠距離恋愛のようであり、古い表現ですが、見返りを求めないプラトニックラブ「純愛」のごとくです。その愛の証(あか)しが激痛ですが、痛み止めの薬を飲めば痛みはやわらぐのですが、それは痛風そのものを葬(ほおむ)ることになり、そんな残酷なことはとてもできません。その痛みはいつでもアナタのことを想っていますよ、というサインであり告白ですから、耐えるのみです。
このところ在宅ワークなどで自宅にこもる時間が増えるなか、モトカノともいえる水虫のことがなつかしく想い出されます。あの痒(かゆ)いところを掻(か)くときのえもいわれぬ快感がよみがえり、巣ごもり生活にあの水虫がいてくれたら、どんなに巣ごもり生活が豊かになっていたか、などと水虫との蜜月生活が思い出されます。いつの間にか水虫が治ってしまい、あれほどかたい絆(きずな)で結ばれていたと思っていた水虫に裏切られたとの思いで、いまだにその気持を引きずって生きています。
休校によって長い春休みになってしまいましたが学生にとっては、今までとは違う日常のなか、いろんなことを考え、想いをめぐらせ、ふくらませたこととで、多様な価値観を見つけることができたのではないか、そうあってほしいとの思いです。技術や知識だけではなく、クリエイターにとって大事な想像力が培(つちか)われ、それらが創造力につながり、これからの制作に生かされるであろう、と期待しています。
今後、新型コロナウィルスと共生していくため、新生活様式が提案されていますが、これからは、よりアート思考、デザイン思考が問われ、求められることと思います。新たな授業環境のなか、それこそが本校の役割であり、それらを豊かにする育(はぐ)くみを心がけたいと思います。
 

2020.5.15

初夏の5月は、新緑の若葉の香りが風にのってほのかに漂う、「薫風」と呼ばれる風薫るさわやかなときであり、この5月を、<陽の伸びる月、枝葉の伸びる月、こころも身も伸びるよろこびの月>。と作家の幸田文さんがエッセーに書いています。そんなよろこびの月であるはずが、大型連休も外出自粛のステイホーム週間となり、それが明けたら、との思いも緊急事態宣言が延長され、連休明けの開校もならず、その青春のときめきを謳歌し、躍動する季節を無情にも奪われ、いまだに我慢の日々を送っている新入生、在校生の姿や胸中を思うと、新型コロナウィルスなるものがなんとも恨(うら)めしいかぎりです。
ついこの間まで土筆(つくし)が顔を出していたのに、いつの間にか杉菜(すぎな)が茂り、春の初夏と思っていたら、夏日、真夏日があるなど、春を享受(きょうじゅ)しないまま、夏になってしまった感があります。このツクシとスギナは土の中で茎でつながっていて、例えれば親と子、花と葉のようなものですが、目には見えないけれど、つながっているツクシとスギナが、本校の学生と教職員にその姿が重なります。
見えない危険に目を凝(こ)らし、聞こえない音に耳を澄ますしかない脅威(きょうい)にさらされながら最前線の医療に従事されている方々への感謝はもとより、外出を自粛している人々、休業、休店をせざるをえない方々がいるなか、大型連休明けは人出が増え、非難する人もいますが、それぞれやむにやまれぬ事情や背景があるであろうことが想像され、お互いに頑張ろうという決意が伝ってきて、出かけざるをえない人たちのその人生へも畏敬(いけい)の念がわいてきます。感染拡大の収束が見えないことから、不安や不満が高まっていますが、これらには傍観者はいなく、加害者もいなく、全員が当事者であることを思い、今こそ「待つ」こと「許す」ことを共有し、受容し、寛容さをもって日常生活を送ることが求められているのではないでしょうか。
重苦しい空気が漂うなか、江戸時代、疫病封じをすると信じられた妖怪「アマビエ」が注目され、話題になっています。私は「アマビエ」を見間違い、あの「アマエビ」がと、いっときなごんだのですが、この「アマビエ」は予言獣のなかでも愛嬌(あいきょう)があり、親しみやすく、ほっこりと安らぎます。
まだ先行きが不透明ですが、本校も再開に向けて3密を避け、マスク着用、換気をし、分散登校、分散授業などを行うべく準備をしています。再開するにあたっては、いままで以上に、学生たち1人ひとりに寄り添い、心のケア、心の受け皿としての役割を担い、期待や希望を描けるべく本校が現代の「アマビエ」でありたいとの思いでいます。
 

2020.4.28

本来なら、4月〜5月の学校は新年度になり、新学期が始まり、大型連休を迎えるときですが、いまだに再開の見通しは不透明で、気持がゆれる日々が続いていて、本校も教職員はテレワークなどの在宅勤務、時差通勤などの対応をし、私も自宅待機をして出校を控えています。

そんな中、小池東京都知事から引き続き外出自粛して大型連休を「ステイホーム週間」としていただきたい、との呼びかけがあり、行楽によい季節ですがゴールデンウィークなどとはとてもいえない状況です。都内のあちこちも閑散(かんさん)としていて、ほとんどの店舗がシャッターを閉め、休業を知らせる掲示が目立ち、毎日が縁日のような原宿竹下通りもほとんど人通りがなくなるほど、日常的な見なれた風景や光景が失われ、まるで「季節のない街」「沈黙の春」のようです。人間社会は見えない脅威(きょうい)に、どこにももっていきようのない閉塞感におおわれ「幻の春」になりそうです。

季節の春、自然の春は、山の新緑が然え、花が咲く春らんまんです。これをたとえて「山笑う」といゝ、春の季語でもあります。そんな山笑う里山から毎朝ウグイスの鳴き声が聞こえ、ひととき、なごみ、ほっとし、思わず笑(え)みがこぼれます。

春告げ鳥と呼ばれるウグイスですが、東京のウグイスの鳴き声は2000年3月を最後に観測ができていないそうです。本校1号館前の宮廷ホームからウグイスの鳴き声が聞かれたのは10数年前まででした。いつの間にかいなくなり、気になっていたのですが、観測地が千代田区とはいえ、そんなに前から幻のウグイスになっていたとは……。この観測は、全国の気象台や観測所の半径5キロ以内で対象の花が咲いた日を「開花日」生き物を初めて見た日を「初見日(しょけんび)」鳴き声を聞いた日を「初鳴日(しょめいび)」として記録するものだそうです。対象の動植物を30年間に8回以上観測できなかった場合は、季節を追えない。として除外するのだそうです。本校の開花日はいつになるか。との思いでもあります。ウグイスは繁殖のためメスにアピールするため、オスが鳴くのですが、そのあとは雛を育てるため巣篭(すご)もりをします。いま人間も外出をおさえ、できるだけ自宅で過ごすことを「巣ごもり生活」などと言っていますから、私たち人間も生態系の一部であることを思い知らされます。

当り前にあるモノやコトのかけがえのなさに気づかされ、当り前であるが本当は当り前でないことに気づかされる毎日です。

ペストが流行した17世紀、大学生だったニュートンは故郷に戻り、その間に「万有引力」の着想を得たのだそうですが、この大型連休に帰省したくてもそれが叶わずにいる学生や、アルバイトができなくなっているであろう学生のことを思うと辛いのですが、「創造的休暇」にして欲しいものです。

祈ったり、願ったりする空しさを感じつつ、巣ごもりをして、しばらくそうするしか術(すべ)がありません。

2020.4.15

春。という響(ひび)きだけで気持が温(ぬく)もり、華やぎますが、新型コロナウイルス感染拡大により刻々と事態が変化し、得体(えたい)の知れない陰影が濃く深くなって「幻の春」になるのでは、などと思っている中、7日には首都圏を含む7都道府県を対象とした、緊急事態宣言が発令され、より強い外出自粛要請が求められることになりました。
翌8日は、本校の入学式の予定でしたが、中止のため、当日は各学科長、学校長が新入生へのメッセージを動画配信することになり、私は次のようなことを話しました。
「コンニチワ!!校長の今村です。入学おめでとうございます。東京デザイン専門学校へようこそ。 今日は皆さんを迎えて、明治神宮会館で入学式を行う予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大により、入学式を中止せざるを得なくなり、こうした形で皆さんとお会いすることになりました。 皆さんが想い描いていた入学式とは違ったスタートになってしまい残念ですし、申し訳ありません。 「想い描く夢」はひとりでは叶えられません。夢の実現には、その夢を共有し、励まし合える人間関係が必要ですが、アナタにはまだ出会っていない、本校で初めて出会う多くの仲間がいます。これは偶然ではなく必然的な運命的な出会いです。アナタにはそうした仲間の他に、「アナタの夢」や「アナタの将来」を切り開く力をつけるため、学校生活を支援し、応援し、サポートする教職員もいます。 ひとりじゃないから、仲間がいるか続けられるのです。 授業が始まるのは遅れてしまいますが、「休む」ということも、「休む」というひとつの動きです。休んでいるからこそ見えてくるもの、見つかるものがあると思います。 休みが明ければ、希望と可能性が広がっています。 健康には十分気をつけて、元気でお会いしましょう!!教職員全員がアナタを待っています」。
その日の夜は、地球に月が近づいてひときわ大きく見える「スーパームーン」でした。春の満月の輝きは、新型コロナウイルスが収束し、終息するそのあとの希望を照らす光のようでした。
本校では5月11日ガイダンス。12、13日に個人面談、14日から1期の授業を開始する予定になっていますが、その間、新入生、在校生に各学科からそれぞれ自宅制作の課題が出されています。
正体が解き明かされていない新型コロナにより、先の見えない不透明な日々が続いています。予定通り授業が行えることを、ただただ、祈るばかりです。
 

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